じりじりとサバンナ化する世界と、忍び寄るAI(人工知能)の脅威への対策について。


どうも。
ナカタケこと中野丈矢です。


ある日のこと。
3万円を銀行から引き出し、
財布に入れようとすると、
ATMから千円札が30枚でてきました。



しかも、30枚ともピン札。。。



なんとも言えない感情になりました。


僕は定期的に身体の施術をしに行っているのですが、
その施術料が1万円です。


なので、1万円を支払うため、
プラスアルファーで多めに引き出そうとすると、

1万円のはずがすべて千円札。



しかも、ピン札だったのです!笑
(2回言います)



で、受付の人にこの経緯を話すと、
「ATMのくせに、3枚くらい一万円札ないんかいや!」
と、爆笑された記憶があります。



いや~生きていると、
想定外って起きるもんですね^^

 

記録より、記憶に焼き付ける

 

想定外って、
予想だにしないからこそ、
このように記憶に残ってくれるもの。



そして、いつも新鮮な気持ちで生きていれば、
毎日が充実したものになると思うのです。


僕がコンサルをしていて、
望みの現実をつかむ人と、
そうでない人との違いというのは、
僕の中で「これだ!」という確信があります。


それは、
「毎日を新鮮な気持ちで生きているかどうか」
ということ。




これはどういうことか?
というと、

毎日を新鮮な気持ちで生きることで、

人に提供できる価値が、
いくらでも生み出せてしまいます。



無限のアイデアが湧きあがり、
人が「欲しい」と思ってくれるような
価値を毎日を新鮮に生きることで、
生み出せてしまうのです。


これはAIにはできないことで、
僕たち人間にしかできないことです。




ボーーーッと生きていれば、
何の発見もないので、
もちろん気づきも生まれませんよね?


それだけでなく、
「どうすれば良いのか?」
というアンテナを立てることなく、
毎日をぼんやりと過ごしてしまいます。



僕の学生時代のように。。。。

 

アテもなくさ迷った学生時代



僕自身の大学1年生の夏休み。


何のあてもなく2ヶ月弱の期間を
これといってすることもなく、
過ごしていました。



夏休みが終わると、
「あー授業がはじまるな」
と、何の目的意識もなく、

「意外とあっという間だったな」
というふうに、
時間が過ぎ去っていくような感覚がありました。



夏の暑さが少しマシになった頃でしょうか?

ある時、気がついたのです。



「オレ、生きている実感がしない」
ということに。



心臓も動くし、
皮膚が切れると血が出てきます。


というか、いたって健康です。


ですが、、、
生きているのですが、
生きている実感がしない。。。



これはかなり致命傷です。


もしかすると現代病と
言ってもいいかもしれません。


で、生きた心地しないのですから、
勉強も「したつもり」になって、
自分のものにはならない時がありました。

 

何気ない日常に衝撃が走る



「このままじゃやばい・・・・」
「このまま社会人になりたくない・・・・」


ある日、電車の広告でしょうか。


ふと目に入った言葉が僕を突き動かしてくれました。


それは、
「今日という日が、一生で一番若い日だ」
という言葉です。


これを見た時は、かなり衝撃でした。


今日という日は二度と戻らないし、
今日できることは、一生することはできない。


もっと言えば、
今日、僕と関わってくれた友人や家族も、
もしかすると明日、死んでしまうかもしれない。


「今、この瞬間は二度とやってこない」


何度か言葉で聞いたことがあるのですが、

「ふーん」というくらいで、
気にも止めませんでした。



でも、なぜかその時に
その言葉を目にしたら、
いつも見ているはずの世界が、
一気に変わりだしたのです。

 

突然訪れたトランスフォーメーション(変容)


毎日乗る電車と、
毎日降りる大学の最寄駅。


改札を出て、大学に行き着くまでの学生道路。


そして大学のキャンパス。


毎日、同じように生きているつもりが、
よ~~~く見てみれば、
「まったく同じ日」なんてなかったのです。


心のどこかで、
「変化なんて起こせやせない」
なんて思ってたのが、

視点を変えるだけで、
一気に世界が変わっていくのです。


とても新鮮でした。


毎日会っているはずの友人も、
顔の表情をよく観察してみれば、
まったく同じ表情なんてないのです。


似た表情はありますが、

髪型や着ている服が違ったり、

飲み過ぎで声がつぶれていたり、

徹夜で麻雀して寝不足だったり、
交通事故に合って、まつば杖をついていたり、

日焼けサロンにいって顔黒になっていたり。



「その人」

ということには変わりはないのですが、

「前に会ったその人」は、
もうそこにはいないのです。

終わりを描けば、「今」が観えてくる


少し刹那的に聞こえますが、
やはり僕たち人間には必ず死が訪れます。



大学時代がずっと続くわけがないのと同じで、
今日という日がずっと続くはずもないのです。



3万円引き出そうとして、
「一万円札が3枚出てくるだろう」
と思っていても、
30枚の千円札が出てくることだってあります。



「こうなるだろう」

が、

「こうなった」

というのは、
もはやテレビゲームの世界でしかありえないのです。


刻一刻と変化していく時間に、
その時、その時に流れいくものに、
いかに感じ取ることができるのか?



「今、生きている」

ということを、

どれだけのリアル感をもって
感じることができるのか?



この「今、生きている」
という実感は、
お金では決して買えないものです。



それだけでなく、
お金では生きている実感は埋めれないのです。


確かに、お金で「欲しい」を買えますが、
買った時くらいしか生きている実感は湧いてきません。

 

お金で買えないものがあるとするなら、、?


「お金と幸福度は関係するのか?」
という話題が時たま議論されてますが、
確かにお金は必要です。



税金を納めたり、
生活費だって必要です。


なければ生きてはいけません。



でも、お金は人を幸せにしてくれるのか?

というと、
僕はそうではないと思うのです。



日雇いのバイトで生活していれば、
お金のために仕事をしているかもしれませんが、

お金のために仕事をすることは、
今を生きていないのと同じことなのです。


毎日をぼーーっと過ごしていた
僕の大学1年生の頃と同じで、
魂が抜けた状態で生きているのと同じです。

 

自由な時代で、束縛を好む現代人



「生活のために稼ぐ」


確かに正論です。


けれども、
今ほど自由な時代ってないはずです。



にも関わらず、
「何かに縛られなければ生きてはいけない」
という発想を持つ人がいるのはどうしてでしょうか?



ワークライフバランス

という言葉が出てきて、
働き方もずいぶんと自由度は増してきました。


それどころか、
これまでの日本のように、

「右習え!右!」


という軍隊的な風習を持った組織は、
どんどん淘汰されていってます。



でも、
指示されないと動けない人がいるのは、

長い夏休みがあるのに、
誰かに誘われたりしないと、
自分からは動けないのと同じです。



時代は変わっても、誰かに強制されないと、
主体的に動けない人の数は
変わっていないのです。



これは、どうしてか?

というと、
生きている実感を持ちにくい時代だからです。



人間って「好きにして良いよ」って言われると、
どうしても躊躇してしまう生き物です。


誰かの指示通りに動いた方が、
思考力を使わなくても良いし、
なによりも責任を負わなくても済むのです。

 

誰かが責任取ってくれる時代は終わった



「好きにして良いよ」と言われると、
自分で広げた風呂敷を、
自分で回収する責任が出てきます。


自由になればなるほど、
僕らは想定外の世界へと押しやられるのです。



これまで動物園で飼われてたのに、
いきなりサバンナで放されるのと同じで、
何をすればいいのか分からなくなります。


動物園だと定刻になれば、
ご飯が出てきたり、
寝る時間も決まっています。



ですが、
サバンナだと、
ご飯も自分で狩りに出なければならず、
寝る時間だけでなく寝る場所すら自分で
探さなくてはならないのです。



僕の大学の夏休みのように、
「好きな時間をどうぞ」と言われ、

暇を持て余してしまうのと同じで、
自分で考えて、自分で感じることが何よりも重要なのです。



それをひっくるめて言うのなら、
「自分は何をやりたいのか?」
を本気で気づかなければいけないのです。


「大学出ていればいいだろう」
なんて甘い発想では、サバンナでは打つ手はなくなります。

 

じりじりとサバンナ化している世界


世界はどんどんボーダレス化していって、
数カ国語を話す海外の学生外が、

有名企業でどんどん内定を取っているニュースを見た時に、
「日本はかなりヤバイ」という危機感を持ちました。



海外の学生は、英語は話せて当たり前です。



日本では(かなり?)ノンキに、
「文法とは~~~」
「動詞とは~~」
とやってるのです。



話すための英語教育は、
先進国の中でも一番遅れているのが現状です。



知識だけ増えていって、
英語が試験で点数を稼ぐためだけの学問となってしまって、
人として最も重要である人と人との触れ合いが薄くなっています。




点数を稼ぐだけに英語を学んだ学生と、
数カ国語を操れる学生とでは、
企業側としてはどちらを採用するでしょうか?



・・・・・・。




答えは言わなくても分かりますよね。



「ただ学校を出ればいい」

という学生と、

「英語を学んで色んな国で活躍したい」


という学生とでは、
雲泥の差が生まれているでしょう。

 

今こそwhy〜?をとことん問い詰めるべき理由



僕がコンサルしていて、
望みの結果を得る人と、
そうでない人との違いというのを述べましたが、


「英語を学んで活躍したい」
という学ぶための動機が現実を変えてくれるのです。


例えば、望みの結果を掴める人は、
「授業に出ていれば、英語をマスターできるだろう」
という甘い発想を持つことなく、


主体的になって英語を学んで、
色んな国の人と関わりを持つことができます。



望みの結果が出る人は、
「どうして英語を学びたいのか?」
「どうしてこの仕事をやるのか?」
といった、

being=在り方からエネルギーが溢れています。


しかしながら、
being=在り方でなく、
doing=やり方を求めてしまえば、

どうしたって今の日本式の教育のように、
「点数を稼ぐための英語」
となって、


大人になってしまえば、
「生活をするための仕事」
といったように、

being=在り方といった要素を
どんどん忘れがちになります。


でも、
自分で望みの結果を出せる人に限って、
being=在り方をしっかりと持って、


「どうしてこの仕事をするのか?」
という動機から無限のエネルギーが湧き出てきています。



これが全てにおいての原動力なのです。



「今、生きている」という実感があれば、
この無限のエネルギーは、いくらでも湧いて出てくるのです。


忍び寄るAI(人工知能)の脅威への対策とは?



テクニック論に走ってしまい、
頭でっかちになってしまえば、

「今、生きている」という実感はおろか、
無限のエネルギーはどうやっても湧いて出てきません。



でも、
「なぜ私はこの仕事をするのか?」
という、being=在り方を自分自身に刻みつけてやれば、
どんなに優れたノウハウやマニュアルを持っていたとしても、

感情を持った人と人とが触れ合うことにおいて、
絶対に負けることはないはずです。



人と人との触れ合いにこそ価値は生まれます。



心を揺さぶることに、
コピーライティングのテクニックを用いれば、
買ってくれる人はいるかもしれません。


ですが、幸せまでは買えませんし、
幸せはお金では買えません。

幸せは自分で感じるものであり、
今、この瞬間から創造できるものなのですから。

 

AIと人間との共生共存が、
この10年の間で必ず問われてきます。


それでもなお、
自分の中に流れる感性を無視して、
知識重視の教育を続けていくのか?


それとも、
生きている実感を味わいながら、
人間らしい生活をすることでより豊かな人生を送るのか?



今一度、本気になって考えなければならないタイミングが来ています。

 

 

 

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