光と闇のエネルギーを受け入れることで本当の自分に目覚める

光と闇のエネルギーを受け入れることで本当の自分に目覚める
ナカタケこと中野丈矢です。

自分の道を進もうと思えど、力が入らない理由はきちんとあります。

それは、「ルールを破れば罰せられる」という古い価値観です。

この古い価値観は、幼少時代に植えつけられた価値観が邪魔してる場合がほとんどで、
  • やりたいことが分からない
  • 自分の進むべき道が分からない
といった現実を引き寄せる原因にもなるのです。

そこで、この記事では、本当の自分に気づくには、「光と闇の両方のエネルギーを受け入れる」というテーマで述べています。

ではなぜ、光だけでなく、闇のエネルギーをも受け入れなければならないのでしょうか?

まずは、時代性から解説したいと思います!

なぜ闇を経験する必要があるのか?

「良い会社に入れば、一生安泰」という時代はとうに過ぎました。

それだけでなく、国の年金システムも限界が来ていて、働ける年齢からきちんと貯蓄しておかなければ、老後破産に繋がる可能性もある時代です。

まさしく、国や会社が生活の保証をしてくれる時代ではなくなったことを意味します。

だからこそ、自分の身は自分で守らなければならない時代です。

訪れたのは絶望感

自分の身は自分で守らなければならない・・・・

とは頭で分かっていても、いざやってみようとしても、どの道を歩めば良いのか?分からない状態が訪れるのです。

これは、「やりたいことで収入を得ていきたいけど、いざやってみれば何をすれば良いのかさえ、分からない」という状態でもあります。

この絶望感にも似た感情。

しかし、大きく飛躍する前に訪れるのは、決まって絶望感です。

絶望感にも理由がある

絶望の次に希望はやってくるので、この絶望感は飛躍するためのエネルギーを貯めるには必要な儀式でもあるのです。

目の前が暗闇でも、一筋の光さえ見つければ良いのです。

皮肉なことに、その光はなかなかやってこないことも。

ですが、そんな日の目を当たらない時期に、大きな飛躍へのシーズ(種)がたくさん落ちているのです。

そのシーズ(種)をたくさん見つけて、水をやり光に当てることで時間をかけてでも、大輪の花が咲くのです。

大輪の花を咲かせるには、それと同等の儀式が必要です。

闇を受け入れる

日の目が当たらない時期に培ったスキルや技術こそ、咲かせる花がどれだけの大きさの花を咲かせることができるのか?といった可能性でもあるのです。

目に見える光の部分だけ見ようとすれば、ありのままの自分を受け入れることができません。

ありのままの自分とは、光だけでなく闇をも受け入れること。

良い部分も悪い部分も認めて受け入れなければ、本当の自分には気づかせてくれません。

ニュートラルな姿勢こそ、直感を受け取りやすい状態であり、光の部分だけ色濃くでた自分ではなく、事実を重くいけ入れる自分でもなく悲観ばかりする自分でもなく、、、

ニュートラルな状態でこそ、直感は働いてくれて、歩むべき方向へと導いてくれるのです。

劣等感と上手く付き合う

僕自身も日の目を当たらない時期を何年も過ごしました。

というのも、大学受験を何度も失敗した経験があります。

その浪人時代は苦手な理数系科目を、学ばなければならず、苦痛でしかありませんでした(笑)

友人がスラスラと解けるような問題でも、僕はペンが進まない状態でお手上げでした。

「自分は頭が悪いんだろうか?」と、日に日に劣等感が強くなりました。

光があれば影がある

そんな闇の時期に培ったスキルや技術は、論理的思考能力で、ビジネスにおいて欠かせないスキルです。

今では欠かせないスキルですが、生きてるだけで辛い時期に培った経験こそ、日の目を当たる時期になれば大輪の花を咲かせてくれるのです。

生きていれば、ずっと良い時期が続くこともなく、かといって、ずっと悪い時期が続くこともありません。

もし、「私はずっと幸せだ」と言える人は、そう言い切れる人格を持ち合わせているからです。

そんな方にお話を伺ってみると、想像以上の闇の時期を過ごしていることに気がつきます。

「よく生きていたもんだ」と、笑いながら仰ってましたが・・・

 

想定外にこそ、本当の自分が待っている

「人の良いところをみましょう」という教育は、光の部分に”だけ”フォーカスすることでもあります。

この教育は、どんどん闇の部分が気づかないうちに大きくさせてしまいます。

挙げ句の果てに、「やりたいことが分からない」「歩むべき方向性が分からなくなった」といった状態になることも。

ですが、そんな状態ですら、成長過程には必要でもあるのです。

暗闇にいる本人からすれば、「今すぐここから助けてくれよ!」と叫びたくなります。

他力を使う

一人では進もうにも進めないのです。

そんな場合こそ、他力を使えばよく、同じ道を辿った人に「歩むべき道」へと、連れて行って貰えば良いのです。

しかし、「自分は大丈夫だ」「自分しか信じれない」といった、歪んだ正義感を持ってしまえば、歩むべき道はどんどん遠ざかってしまいます。

なぜなら、歩むべき道は想定外にあるからです。

本人からすれば、「分かっている」「すでに見えている」と思いがち。

ですが、暗闇の中で見てる光の姿は、「過去の延長線上にいる自分」か、「実現しない可能性を生きている」このどちらかなのです。

自我が歩むべき道を邪魔する

歩むべき方向が分からなければ、他力を使うことも最短距離。

「自分は分かってる」と思ってる人ほど、どんどん遠ざけているのです。

また、自分の道を歩もうとすれば、これまで抑えてきた感情がフツフツと湧き出てきます。

これは、怒りや無力感といった「見たくない自分」でもあるのです。

しかし、闇の自分も受け入れることで、光の自分がより輝いていくのです。

闇の自分すら受け入れることができれば、誰かの闇の部分すら受け入れることができます。

そうなれば、光の自分はどんどん輝きを増していくのです。

光と闇を受け入れて、足元を照らす生き方

誰かの悪口を言うパラダイムにいる人を見れば、「過去に引っ張られながら生きているんだな」と生暖かい目線で、その人と関わればよく、仮に攻撃的な言葉を浴びせられても、あなたにぶつけたものではないのです。

もう一度言います。

攻撃的な言葉を浴びせられても、それはあなたが原因ではなく、浴びせてきた人の中に存在するパラダイムによって生まれた言葉なのです。

「気にしない」というのは、なかなか難しいかもしれませんが、「この人も必死に暗闇から脱出しようとしてるんだな」という姿勢を持つことが大事です。

そして、暗闇を真っ只中にいる人の背景や、その人のヒストリーをも汲み取っていければ、攻撃的な言葉を放った理由も理解できます。

「辛かったですね」と一言かけるだけでも、その人は一筋の光を見ることができるのです。

僕はメンタリングによって、暗闇にいる人に一筋の光を見せることも、仕事ととして行ってますが、暗闇が強い人ほど光が強いのです。

一度、光が差し込んでくれば、その人は大輪の花を咲かせて、強みを発揮して誰かの足元を照らせる存在として活躍できるのです。

ライター紹介 Writer introduction

takeyanakano

page top