ナカタケこと中野丈矢です。
お金を稼ぐには、価値を提供することです。価値を提供すればするほど、僕らにはお金が集まってきますが、
「そもそも価値の意味って何だろう?」
「価値の正体ってなんだろう?」
と考えました。
価値には姿・形はありません。
なぜなら価値とは物質ではなく、価値とは、僕らの心に宿るもの(無形財産)だからです。
時代が変わり、物質的な価値から精神的な価値へと変わっていきました。
「価値を見出す」ことに述べると共に、「無形財産」「有形財産」の解説をしていきます。
無形(信頼・才能・影響力)→有形(お金・物)
という流れがあります。
この記事でさらに詳しく述べていきます。
価値とは?
「お金はどうやったら入ってくるのか?」
それは、誰かに「価値を提供」することで入ってきます。
この「価値を提供する」ですが、
「そもそも価値って何だろう?」と考えたときに、
「これだ!」という答えが、なかなか出てきません。
価値は時代とともに変化する
価値を大ざっぱに分けてみると、・物質的な価値
・精神的な価値
と、この二つに分けられます。
日本ではかつて、「物質的な豊かさこそが価値」とされてました。しかし、時代は変化していき、物やお金は絶対的な価値だと言えなくなったのです。
無形価値、つまり精神的な価値が高くなってきています。
若者の車離れがその象徴です。

また、日本の国のシステム自体が、年金問題や雇用問題など、消極的なニュースが多くなっています。
・大きな買い物はやめとこう
・老後を考えた職業に就こう
・福利厚生の手堅い会社に勤めよう
といった、「賢い選択」をする人が増え、安定志向が強くなってきました。
人と同じ仕事をする人は価値を生めない
僕自身も、学生時代は安定志向で進路選択しました。「公務員になった方がいいかな?」と思った時もあるくらいで、「資格を取って手に職を付ければ一生安泰だ!」と考えてました。
「資格を取る」とは、聞こえは良いものです。
しかし、「資格はシカク」。自分を縛る要因にもなるのです。
有資格者とは、国が定めた法律に沿った仕事ができる人です。

つまり、「国が定めた労働を守れる人」「一定基準を達した技術を提供できる人」なのですが、一定に基準さえ満たせば、「誰かができる仕事を代わりに自分もやっている」ことに繋がるのです。
これは「資格はいらない」という意味ではなく、「資格を取れば豊かになるのか?」と言えば、『そうではない』という考えです。
でも、安定志向が強い時代では、「資格を取ろう!」という広告がたくさん流れてました。「それはなぜか?」と、考えれみれば「資格ビジネスは儲かる」のです。
お金で人生をサクッと変える
「不況だ」「会社がなくなる」と言われるたびに、この資格ビジネスは流行ります。
資格学校の授業料って、けっこう高額です。
僕も建築士の資格を取るために、資格学校に通っていた時もありますが、やっぱり『高額商品』でした。
「お金を払えば、合格できるのか?」と言えば、そうでもなく、すべては本人次第なのです。
これは資格に限ったことではなく、ビジネスでも勉強でもスポーツでも同じです。
すべては本人次第なのです。
でも、どこかに甘えや過信があって、「お金さえ払えば、合格させてもらえるだろう」と思ってしまうのです。
まさに、消費者マインド。
逆に、お金を払うことで、「サクッと行動する人」「サクッと本気になれる人」もいるのです。
価値を生んで現実は変えるには?
僕自身もコンサルタントとして、クライアントと関わってても、現実をどんどん変えていくクライアントの共通があると思います。は、
むしろ、僕にお金を払うことで、自分自身を本気にさせます。
これはつまり、自分の可能性を信じ切ることと覚悟することです。
「わたしは変わるんだ」という覚悟をすることです。
そして、僕のアドバイスを行動して、それも鵜呑みにするのではなく、尚且つ考えながら行動し、その行動した結果を僕に伝えて、またフィードバックをもらう。
そんなサイクルを、スムーズに行える人が変われる人なんです。
このサイクルを、「どれだけのスピードで行えるのか?」そして、「どれだけ自分の思いに実直なのか?」という想いの強さも関係してきます。
「自分を変える」ために必要なこと
高額であればあるほど、僕らのコミットメントは高まります。そして、僕らは提供者側に回れば、「お値段以上を提供する」とコミットします。
高額商品には、最初の一歩を踏み出すには勇気がいるけれど、踏み出した分だけ、自分に還ってきます。
資格学校で高額払っても、何もしなければ、大金をドブに捨てるのと同じ。
でも、払った分だけコミットすれば、コミットの分だけ成績も上がります。
この「コミットする」のも、「高額だから」というのもありますが、一度、本気になって何かに取り組んだ経験があれば、違う分野でも本気になれるのです。
信念があるかないか?現実は変わる
一芸に秀でた有名人が、例えば飲食店やサロン経営、ジュエリー屋さんやアーティスト活動など、芸能人以外での活動も、幅広く行えるのも、本気になる経験がたくさんあるからです。

「自分はできるんだ」という信念が潜在意識レベルで根強いエネルギーとして流れているのです。
「自分はできるんだ」と強い信念が潜在意識にエネルギーとして流すのは、すべては本人次第です。
たとえ、僕がどれだけ言葉を投げかけても、クライアントが「自分はできない」というエネルギーが強ければ、その人の潜在意識は変わらないままです。
資格でも、本人が「ちょっと無理かも」と思ってしまえば、どんなに完璧なカリキュラムが組まれていたとしても、どうしても惰性で動いてしまうのです。
塾の立ち上げ経験から学んだこと
僕自身、とある塾で立ち上げのお手伝いをさせてもらった経験がありますが、そこに通う生徒さんの、机に向かう姿勢や顔つきを見れば、「本気度」はある程度分かります。
先生や親は、本気にさせるきっかけを与えることはできても、生徒本人が、心で響かなければ、どうしても本気にはなれません。
つまりは、勉強でも資格でもビジネスでも、すべては本人次第なのです。
そして、すべては本人次第ということは、自分に主導権がある状態です。
毎日少しづつ勉強して合格する人もいれば、試験間際になって、徹夜続きで勉強する人もいます。勉強するペースも自分次第。
誰かに強要されても、人は必ず自分にあったペースで、合格を目指します。
資格は「合格がすべて」とは言い切れませんが、合格した後のことは、あまり語られません。
合格後の「嬉しい気持ち」は聞くことはできますが、
「キャリアアップして人生が充実している」というのは、10人いれば1人か2人しか聞くことはできないのが現状です。
なぜなら、資格を取ったところでは、人生の主導権を手にすることはできないのです。「資格を持つ」ということは、国が定めたルールに沿って一定の技術を提供できる人なのですから、どうしても自分だけが提供する価値ではなく、ルールに沿った仕事をすれば”誰でも”価値を提供できるのです。
つまりは、誰かと替えの効く存在となるのですから、「資格を取って手に職をつければ一生安泰!」というのは、
どう考えても幻想だったのです。
当時、通っていた資格学校の先生に言われたのが、「資格を取ったら国の犬になることやで!」と。
それを聞いたときは、「資格取るために必死なのに、どうしてやる気をなくすことを言うんだろう?」と思ってましたが、その意味が今ではよく分かります。
価値の正体とは?
で、「価値の正体とは何だろう?」と考えたときに、僕は「人ができないことが価値である」と考えたのです。
「資格を取ったら国の犬になることやで!」
この言葉を聞かなければ、誰かが作ったレールの上をラットレースしていたことでしょう。
誰かとの競争することに必死で、本当の自分を忘れたまま、過ごしていたでしょう。
競争では価値は生めない理由
競争することは、他人との比較なので、どうしても周りが気になってしまい、自分らしさを失ってしまいます。
勝ち負けの世界から抜け出すのは、たったひとつ方法があります。
僕は昔から「人とは違うことをやりたい」という変なクセを持っていて、そのせいもあってか、「学校の勉強して、何のためになるのか?」「好きな科目だけ勉強して将来に活かせないのか?」とずっと考えていました。
でも、「勉強しなければいい仕事に就けない」と教わってきたので、イヤイヤ勉強するしかなかったのです。
大人になって、「人と違うことをやりたい」という本能は消えることなく、
さらなる高みを目指して、
「建築関係とはまったく違う業界で仕事をやる!それも未経験で独立起業だ!」
と決め、
最初にした仕事が、サロン経営してる人にビジネスを教える仕事でした。
「不変の価値」を生み出せる人とは?
「いきなりビジネスを教える」といっても、何の知識を持ってなかった、というのではなく、学生時代から「独立起業のためにどんな知識が必要なんだろう?」と大学の図書館で読んでいたのがマーケティングや経営学、人材マネジメントの本でした。それらに加えて、ピーター・ドラッカー、コヴィー博士、NLPや脳科学など。
あげればキリがないですが、建築の本はあまり手に取らなかったので、その頃から、「建築はそんなに向いてなかった」と薄々気づいてました。
大学で専攻していたので、しかも大学院まで進学させてもらったので、「後に引き返したい」「学部を変わりたい」という気持ちは見て見ぬ振りをしてました。
いざ、自分で仕事をする頃になって、「自分には何ができるのか?」を考えたときに、これらの知識を総動員すること以外に、僕には思いつきませんでした。
身につけた知識は、後になってからでもいくらでも付け加えることができますし、
むしろ、一生「学び続けたい」と思ってるくらいです。
好きな分野を勉強できるのは、可能性を広げることでもあるし、学生時代に学校の勉強をせずに、図書館で興味のある本しか読まなかったおかげで、僕は好きなことを仕事にすることができたのです。
好きなことを仕事にする、というのは、下積みを経験して一人前になって、免許皆伝というゴールデンルートを描いてました。
しかしそれは、昔の話であって、冒頭に述べた、物質的な価値がだんだん下がってきてるので、「下積み経験して誰かに認められる」というのは、どうしても遠回りにしか聞こえなかったのです。

堀江貴文さんが、寿司職人として、下積み経験に何年もしなければ、寿司は握らせてもらえないことに、「悠長な修行しねーよ」と言って、ツイッターが炎上したニュースがありますが、僕も下積み経験なんていらないと思うのです。
お客さん側からすれば、寿司屋の内情よりも、「うまい寿司が食えるかどうか」なんです。
職人の下積み期間よりも、お客さんにとっては、「そこで良い時間を過ごせるか?」なんです。
僕は野球部でしたが、最近では高校野球でも「1年生は球拾い」という悠長な練習が減ってきて、1年生でも主軸を任される選手も増えてきました。

もはや、自分で自分を認める時代なんです。
そして、自分を認めたエネルギーに人は寄ってくる時代です。
楽しいことや好きなことを追求していって、お金をもらえるレベルにまで磨き上げることで、人は自由を手にすることができます。
先に、「人と違うことをするのが価値」だと述べましたが、人と同じ趣味、同じ思考や同じ感情を持つ人っていません。
「こんな事やって意見あるのかな?」という疑念を持つより、自分を認めて「これ楽しいよ」「これ知ると豊かになるよ」と、これまでの経験を価値としてシェアすることで、人はどんどん自由になり、豊かになれる存在なのです。
時代も変われば価値基準も変わる
人と同じことやって、誰かと競争する時代は終わりました。
これは冒頭に述べたように、価値が変化してきて、物質的な価値から、精神的な価値へとシフトしていったからです。物質的な価値は、競争によって手にします。
物質は有限なので、「先着順」だったり、「ステータス」が必要な時だってあるのです。
でも、心は無限です。
「先着順」なんてないし、「ステータス」なんて、ただの鎧です。
本当のステータスとは?
確かに、ステータスあれば、ある程度の信頼は得ることはできますが、身にまとった鎧をステータスとするのか、本当の自分をステータスとするのか?意見はまったく違ってきます。
・誰かができない事をやる
・自分にしかできない事をやる
です。
資格や学歴も必要ですが、豊かさの基準が精神的豊かさを求める時代なので、これらはどう考えても、絶対条件ではありません。
自分を認めて、「やりたいことをやる」「好きなことをやる」ことで、自分にしかできない価値を提供するので、自分にとっても、相手にとっても豊かさは循環していくのです。
個性が大事ですが、個性を求めるよりも、自分を認めて、やりたいことを仕事にすることが、個性になっていきます。
やりたいことを仕事にするのは、
「誰にでもできる!」
ということです。
「誰かに認められたい」という気持ちよりも、「自分を認める気持ち」の方が、重要なんです^^
自分を認めるためにも、やっぱりエネルギーについて学ぶ必要があるんです。
エネルギーについて学べば、「この事業が上手くいくかどうか?」ってことも、手に取るように分かってきます^^