「自分を変えたい」その一心でセミナーに行ってみれば、「好きなことをやればいい」あるいは「やりたいことをやりましょう」と言われます。
でも、その時には「好きなことや、やりたいことがわからないから困っている!」と、叫びたくなるかもしれません。
自分を変える目的は、
・やりがいのある仕事に就きたい
・本当にしたいことで収入を得ていきたい
という思いだと思うのです。
そんな思いを胸に秘めながら、セミナーや本でたくさんの知識を身に付けてみたり。。。
でも、「それって、セミナージプシーでは?」と言われたことはないでしょうか?
言われた本人にしてみれば、「自分を変えたい!」という一心のみ。
けれども、自分を変えようとすればするほど、どこかしらドツボにはまってしまう感覚に陥ってしまいます。
僕がコンサルティングの仕事を通じて思うのは、こんな辛さを抱えている方は、きっかけさえ掴んでしまえば、上手くいく!という確信があります。そして僕自身も、そんな悩みに苦しんだ経験もあります。
この記事では、そんな辛さのメカニズムについて解説しています。
目次リスト
Outline
Outline
「良い学校に入り、良い会社に就職!」は本当に嘘?
小さい頃から勉強や習い事ばかりで忙しく過ごしてきたなら、じっくりとした自分の時間がなかったかもしれません。大人になった今でも、「特にやりたいことはない」というように、本当の自分を探してみては「どこにいるんだ?」と、路頭に迷ってしまったり、、、。
もし、このような事で悩んでいるのなら、小さい頃の記憶に、「勉強しなさい!」「良い会社入りなさい!」と、散々言われ続けてしまって、精神的に追い詰められたという記憶はないでしょうか。
小さい頃の強迫観念
もしも小さい頃、このようなケースで精神的に追い詰められてしまい、やりたい事よりも、周りに合わせながら生きてしまい、大人になった今でも、「自分を出せば良い」「やりたいことをやればいい」と言われても、「どうすれば良いのか分からない」のも当然なのです。また、「自由にやってごらん」と言われても、逆に困ってしまう。
なぜなら、「何をどうすれば良いのか?」といったように、自由にやることが想像すらつかないのです。
挙げ句の果てには、指示待ち扱いされたり、「1からすべてを言わなきゃ動けないんだ!」って責められたりします。
「本当の自分さえ見つかれば、こんな苦しい思いをすることはないんだろうな・・・・。」
そう思いながら、本当の自分はどこにいる?と探していると、更なる苦しみが訪れるかもしれません。
自分は何をやっていたんだろう?
「”良い学校に入って、良い会社に入れば、一生安泰!”というのは、幻想だった!」と、社会人になって気づいた瞬間に、もしかすると、こんな絶望感が訪れるかもしれません。それは、「自分は今まで何をやっていたんだろう?」という絶望です。
これまで必死に、「良い成績を取るために」「良い会社に入るために」という周りの声や評価されることに従って生きてきたのに、「自分は何をやっていたんだろう?」と、自分を責めてしまいます。
「自分を出せばいい」「やりたいことをやればいい」と、頭では分かっていても、そもそも好きな事が分からない。。。
考えれば考えるほど、自分の気持ちが余計にわからなくなるのです。
自分の気持ちがわからない
「自分は、どうしたいのだろうか?」その答えを知りたくて、色んなセミナーに行ったり、色んな本を読み漁ったりします。けれども、自分の事が分かるばかりか、余計に苦しくなってしまいます。
「人の気持ちを分かってあげたい・・・」
僕も昔は、「相手の気持ちがわかりたい」と思い、色んな心理学を学んだりしました。
知識というのは、時として麻薬。
学べば学ぶほど、自分はどこかしら偉くなった錯覚がします。
「あなたはこうだよね〜」「キミ、こんな弱点あるよね〜」などと知識でジャッジしていました。
自分では良かれと思った行為でも、知識で話しているので、対話は成り立ってません。
それがいつの間にか、「私が正しい」「あなたが間違ってる」という敵を作る原因となって、負のスパイラルに陥り、自分と相手も苦しめることさえありました。
相手からすれば、僕の話を聞いてるようで、実は聞いていないんです。なぜなら、僕の独りよがりになっていたからです。
当時の僕には、心を通わせるライブ感がなかったのです。
知識で話すのを止め、心で話すことから始めた
僕自身が「相手の気持ちを知りたい」と思い、心理学を学べど、一向に知れるどころか、むしろ不感症になっていく気がしたのです。「相手の気持ちが知りたい」
その思いで学び始めた心理学が、僕自身を不感症にしていったのです。
とても皮肉な話ですね。
けれども、心を通わせるライブ感を意識することで、次第に人と話すことに喜びが生まれました。
それまでは、知識で話すことに慣れきっていたので、どうしても話に言霊が宿ってませんでした。そして、知識という刃で人を傷つけていたことに気がついたんです。
知識を身につけて、人に伝えれば、自分自身を認めてくれるんだという錯覚。
これが自分自身を苦しめている一つの要因だったんです。
知識が欲しいのではなく、つながりを感じていたい
「知識を身につければ、人が認めてくれる」そんなことは僕が勝手に抱いた幻想でした。
知識でつながりが持てるのではなく、心と心を通わせることで、つながりを感じ取れるんだと思えた時から、「自分を出せばいい」と思えるようになれました。
「自分を出せばいい」というよりも、「出しても良いんだ」というニュアンスの方が正しいですね。
本音を出す自分を許す
本音を出せば出すほど、人とのつながりを実感できるようになり、雪だるま式に本音を出すことを自分に許せていきました。これが、自分を許すということです。
つまり、行動が伴わないと、自分を許せることにはならないのです。
何も行動せずに、意識の範囲だけでやるのは、自分を許すことじゃありません。
本当の意味での自分を許すというのは、行動が伴わないとできません。
「本音で話すと人を遠ざけると思ったけど、本音が人を繋げるんだ」
「最初はできないと思ったけど、やっていくうちにできるようになった」
「自分にはこんな可能性があったのだ」
など、意識の範囲に止まっていると、可能性を広げることにはならず、行動することで自分の可能性を広げていけるのです。
「何がしたいのかわからない」を乗り越える唯一の方法
「何がしたいのかわからない」そんな状況を乗り越えた方法も、意識の範囲だけで探そうとせず、行動しながら探していきました。
やりたいことがわからずに、色んなセミナーや本を読んでばかりでは、絶対に見つかりません。
やりたいこととというのは、価値を届けて初めて、「これがやりたかったんだ!」と思えるのです。
僕は会社員時代に、経営やマーケティング、心理学を学んでました。
得た知識を体験すべく、「自分でも実践したことを、伝えていきたい」と思い、知人に「こんなことやるんですが、有料で受けてみませんか?」とオファーを出したのです。
快諾して頂き、これが会社員以外での収入を得られた初めての経験でした。
「これがやりたかった!」と思える瞬間
誰かと価値を共有することで、ビジネスになります。欲しい価値を
欲しいと思える人に
欲しいタイミングで
差し出す
これだけで、ビジネスは成り立つのです。
自分から価値を提供することは、最初は「できっこない」と思いがち。
けれども、意識の範囲から外に出ることで、「できない」から「できる」に変わっていきます。
自転車も最初は車輪つけてた記憶はないでしょうか?
車輪はずすことは、最初は怖かったはず。
けれども、なんどもトライすることで、できるようにる瞬間が訪れます。
「やりたいことがわからない」のメカニズムと特効薬
やりたいことがわからないのは、自分の価値観ではなく、誰かの価値観に沿って生きてきたということです。小さい頃、親や先生に強く言われたことを、今でも鮮明に残っていて、その記憶が「やりたいことをやるのは、ルール違反だ」という心のブレーキをつくっています。
メカニズム
けれども、心のブレーキを作ったのは誰でしょう?親でしょうか?先生でしょうか?それとも・・・・。
答えは、自分自身。
心のブレーキを持ってた方が、都合がよかったのです。
自分を出すのが怖い
何がしたいのかわからない
そんな場合は、
自分を出さない方が、都合がいい
やりたいことが、わからない方が、都合がいい
のです。
もっと言えば、
自分を出さないことで、今の環境に甘えられる
やりたいことをせず、毎日悶々とした方が、周りに甘えられる
というのが言えます。
これが、何がしたいのかわからない人のメカニズムです。
すべては自分自身が創造し、
すべての責任も、自分自身にしかありません。
誰かが変えてくれる
誰かがやってくれる
そんなことは絶対にありません。
自分自身にしかできないのです。
今の環境を選んでいるのも、自分自身。
周りに甘えているのも、自分自身。
そんな自分自身を断ち切ることで、やりたいことで収入を得ている自分や、やりがいのある自分になって誰かをハッピーに導いていけるのです。