自己理解とは自分探しでは深まらない理由について。
自分探しは、答えのない途方もない旅路に出ること。自分探しの目的は、自分への理解を深めるのが一般的です。
自分を理解することも必要ですが、周りが自分をどう見ているかも知る必要があるのです。
では、どうして自分探しでは自己理解が深まらないのでしょうか?
自己理解を深めるために、どのようなプロセスが必要なのでしょうか?
このブログで解説していきたいと思います!
目次リスト
Outline
Outline
自己理解は自分探しでは深まらない理由
自己理解を深めれば、自分の強みに気づいて磨き上げることで価値提供できるようになれます。
価値提供できるようになれば、お金を循環させることができます。ですが、自己理解を深めるには、自分探しでは深まらない理由があります。
「本当の自分に気づければ、才能が開花して豊かな人生が送れる」と、考える人も少なくはありません。自分探しは出口(答え)のない巨大迷路に迷い込むことを意味します。
相反する存在どうしの統合
どうして自分探しでは自己理解が深まらないのでしょう?
自己理解とは、相反する存在どうしの統合によって深まるからです。
自己理解を空気に置き換えてみますね。酸素と窒素とが結合(統合)して水(H20)が出来上がります。
酸素だけでは水は出来ないし、窒素だけでも水は出来ません。酸素と水素という相反する存在どうしの適量が結合することで、水が出来上がるのです。
酸素が過剰になれば過酸化水素水になります。
人に優しい状態、つまり水として飲める状態には相反する存在どうしが結合するための適量があります。この適量を自己理解に例えるならば、自分探しで自己理解だけでなく、他者理解をすることで自己理解が深まるのです。
自分探しは迷宮入りすること!?
自分探しだけでは、自己理解は深まらないと先に述べました。自分の顔は鏡で見れるように、自分以外(鏡)があることで自分の顔を確認できるのです。
自分を理解しようと内面を掘り下げていっても、他者理解を避けていれば自分探しで迷宮入りすることになります。
「あの人はきっとこう考えてる」「あの人の性格はきっとこうだ」と、他者理解を勝手な解釈することで避けてしまえば、他者理解はおろか自己理解も深まりません。
さらに、自己理解を深めようと心理学などの知識を得ることと、他者理解することは繋がっているようで繋がっていません。
自己理解と他者理解は互いのエネルギー交換によって深まるのですから。
エネルギー交換とは、実際に相手と対話すること。
つまり自己理解と他者理解は対話することで深まっていくのです。
人との対話を避ければ自己理解は深まらない
鏡に映った自分の顔を見ることで、自己理解が深まります。これと同じく、自己理解も他者理解を通じて深まります。
対話を通じて他者理解を通じて自己理解も深まるのは先述の通りですが、「自分はコミュニケーション能力が低い」からといって、相手との対話を避けていれば他者理解はおろか、自己理解も深まらず勝手な解釈で相手を判断してしまいます。(これをジャッジメントと言います)
また、自分の意見を主張する人は人の意見にも耳を傾け、鵜呑みすることなく自分の価値観を広げるためにフィードバックをもらうことで自己理解も深まります。
つまりフィードバックという鏡を通じて、自己理解も同時に深まっている、と言えるのです。
自己理解が深まるタイミングについて
ここまで見てきたように、自己理解を深める上で大きな誤解の一つに「ひたすら自分の内面を見つめればいい」というものです。
自己の内面を見つめようとすればするほど、自分のかけらが見えなくなるのもひたすら自分の内面だけを見つめようとするからです。
では、自己理解を深めるべく何を見つめればいいのでしょうか?
役割が変わるタイミング
自己理解を深めるには、これまで自分に与えられていた役割が変わるタイミングで強いられます。
小学生から中学生に進学するとき、「少し大人にならないと」といった自意識が芽生えますがこの自意識の芽生えが自己理解を深めてくれるのです。
生徒会長に選ばれても、「どんな生徒会長になるべきか?」という問いを自分に問いかけることで自己理解も深まります。
高校に進学し将来について考える時も、「どんな職業に就こうか?」と考える時も自己理解を深めているのです。
選んだ職業には、あなたのアイデンティティが刻まれていることでしょう。
社会人になって仕事するようになれば、学生時代とは違う価値観に刺激を受けます。サービスを受け取る立場から、今度はサービスを与える立場へ変わることで「与える難しさ」「これまでの自分への甘さ」について考えることになります。
考えていたり悩んでいる時も自己理解は深まっているのです。自己理解とは答えのないものであり、自分探しは一生続くものです。ですから、自分探しすることよりも、社会に生きることで自然と自分探しをしているのです。
ショックな出来事
自己理解が深まるタイミングは、ショックな出来事が起きるタイミングにやってきます。会社を解雇されるようなショックな出来事を通じても、自己理解は深まるのです。
これは、どういうことか?
会社を解雇された時、そこで湧き上がる感情は「怒り」「悲しみ」「絶望」などマイナスの感情です。
「自分は無力なんだ・・・」という無価値観にも襲われます。
精神的に苦しいものであるため、僕らはどうしても避けてみたり距離を置いてしまう傾向にあります。
つまり精神的にショックな出来事が起これば、自分を守ろうと防衛的になったり、「自分は正しい」と相手を攻撃したり、「自分だけ不幸」と過剰なまで悲観的になったり、「自分なんて・・・」と気持ちを塞ぎこんでみたり・・・
そんなタイミングでさえ、「起きた出来事を受け入れる」ことで自己理解が深まるのです。
解雇した上司のことを恨んでも、解雇された出来事を受け入れることが大事です。
しかし、解雇した上司を「解雇は自分の責任ではない」と否定し続けていれば、自己理解は深まるどころか勝手な解釈が妄想として肥大化する一方です。
これが被害妄想の始まりですが、精神的にショックな出来事を受け入れて、「どうして解雇されたのか?」と冷静に自分を見つめることで、自己理解は深まっているのです。
「相手に失礼極まりない態度を取っていた」「会計の計上ミスが続いていた」「防げるイージーミスを毎日していた」など、過去のプロセスを確認していくことで自己理解だけでなく強みにも気付けるのです。
なぜなら強みとは弱みと表裏一体でコインのようなものだからです。
解雇された理由を振り返った中で、弱みだけでなく必ず強みもあるはずです。この強みを探すことも他者理解を通じて自己理解を深めることなのです。
環境が変わるタイミング
幼少期に家族や生まれ育った土地から受け継いだ価値観は、その後の人生において大きく影響してきます。
引越しや転校、転職のタイミングで環境が変われば、それまで自分を形成してくれた価値観が大きく揺るがされます。
環境が変わり価値観が大きく揺さぶられる時に、自己理解は深まります。これまでの自分を否定されるような出来事でさえ、自己理解を深めてくれるのです。
田舎から上京した時、街を見上げては高層ビルばかり。生まれた街には高層ビルなんてものはなく、あるのは駅前のショッピングモール。
「都会は違うなあ。けれど、空気は故郷の方が綺麗だ」という価値観に揺さぶりが起きてる時でさえ、自己理解が深まっているのです。
自己理解が深まるタイミングは、特別な体験に挑戦した時に限った時でなく、これまで何度も自己理解を深めてきたと言えるのです。
よく読まれている記事
自己理解を深めることは一生続く
これまで見てきたように、自分を知ることや自己理解を深めることには終わりがありません。
つまり、「自分はこんなもんだ」「自分には能力がない」という発想が、いかに馬鹿げた考えであることをお分かり頂けたでしょうか?
「自分はこの程度だ」と価値観を持つことで得られるのは、新しい挑戦で失敗するリスクから逃げられることくらいです。
もしも失敗の定義を経験に書き換えられたならば、これまでの失敗は経験になるのです。経験は知恵になってあなたの自己理解を大いに助けてくれる先生でもあるのです。
最大の師は自分自身である
師(メンター)と出会うことで、新しい世界が開けますが自己理解を深めようとせず、無目的に師と関わってもあまり学びを得られません。
しかし、師という他者理解を通じて自己理解はさらに深まってくれるでしょう。
「自分はこんな人間だ」と今の最善解でも構いませんので自己主張することで、他者理解にもつながり自分の意見が言える人と印象付けられるでしょう。
「自分のことが分からない」という場合、「特別な自分」や「才能に溢れた自分」を追い求めようとするあまり、自分を見失ってしまう人も中にはいらっしゃいます。
特別な自分になろうとすればするほど、自己嫌悪になったり誰かと比べては落ち込んでしまいます。
誰かと比べて落ち込んでも、それは何の意味もありません。
しかし、過去の自分と比べることは大いに意味があります。
過去の自分が辿ってきたプロセスを振り返ることで、自己理解もさらに深まってくれるでしょう。