メンターはいらない?メンターを探す前の心がけ。

メンターとの出会いが人生を決めると言っても過言ではありません。
僕はメンターと呼ばれる人から教わった時もあり、当時を振り返ってこの記事を書きました。
ますが本当の自分はどこにいる?と自分の違和感を感じながら、




  • 本当の教育とは?



  • 本当の自分とは?



  • メンターとは?



  • メンターっていらないのでは?



  • メンターと合わない



など当時の僕になりきって言語化しました。
「メンター」に盲目的になりすぎると、自分のオリジナリティは出せないし、自分で考えてこそ「最善の策」が出るはず。
その最善の策こそが、自分ブランドであり、あなただからこそ提供できる価値ではないのでは?と思います。





違和感に正直になってみる




人づくりの現場に立って、色んな人と出会う日々ですが、経験の浅いうちから色んな人と出会ったのは、僕にとってとてつもない財産となっています。
「先生」と呼ばれる人から、実際に教えを受けたりしながら、「人生を変えるために必要なエッセンス」や、「先人たちが培ってきた帝王学」について学んできました。
ノウハウや知識を学んできましたが、それらより大切なものに気づかされたのです。
その大切なものとは??




メンターという言葉を疑え




何よりも教える側のあり方が、人づくりの現場にはとても影響されるんだ、ということに気がつきました。
それまで誰かから教えを請う時、一方通行な関係だったからです。
例えば、先生がいて生徒がいる。
ビジネスでは、「メンター」と呼ばれてますが、そもそもとしてこのメンターという言葉の語源は、「先生」という意味ではありません。
ギリシヤ神話に出てくる「メンター」という人がいて、その方から語源が派生して、和製英語としてメンターという言葉が出回ってるのです。
「メンター」という職業は、生徒からお金をもらって、その人が培ってきたエッセンスや知恵を教える職業です。
僕が、この「メンター」と言われる職業の方からも教えて頂いた時期もありましたが、その間ずっと違和感だけがあったのです。
その違和感とは?




周りはフォロワーばかりのメンター




他のコミュニティリーダーの悪口ばかり言ってたのです。
今でこそ、「おかしいでしょ!」と言えることも、経験が浅い間は「先生が正しいのかな・・・う〜〜ん。いや待てよ。何だろ、この違和感は?」といった違和感が残ってたのです。
しかし、理性で自分の違和感を抑えながら、とりあえず色々と教えて頂きました。
今になって振り返れば、「この人はすごい人だ!」と相手に思わせることで、「この人は自分のメンターだ!しっかりとついていかなきゃ!」とフォロワーになっていたんだと思います。
この世にすごい人などいません。いたとするなら、自分で創り上げた幻想の中にしか、すごい人はいません。
スキルや技術が、飛び抜けた人はいますが、その人はイチロー選手のように、小さい頃から積み上げてきた成果が現れてるのにすぎません。
ですが、「私には、あなたにはないすごい才能があるんだ」とラベルを貼ることで、周りからは「すごい人」と見なされますが、そのラベルは本当の自分ではないのです。
そのラベルは、時間とともに剥がれていくメッキ。
生徒(お客さん)も、徐々にそのメッキを見破ってしまいます。
僕がその人のコミュニティに属してた時、12名いましたが、全員その人から離れていったのです。
今思えば、当然な結果ですね。




お客さんを囲っていた




では、どうして他のコミュニティリーダーの悪口を言ってたのでしょう?
それは、生徒(お客さん)の囲い込みをしてたのです。
他の人が配信する情報や、販売してるコンテンツに対して下げる発言をすることで、自分の株を持ち上げてるのです。
株を持ち上げる・・・とは言っても、自作自演です(笑)
しかし、他のコミュニティリーダーを下げる発言は、天に向かって唾を吐くような行為です。
違う表現をすれば、ライバル業者が提供してるサービスに対して、色々とケチをつけてることと同じです。
ですが、生徒さんも、もちろんですがバカではありません。
当時は、僕も含めて周りの人も、同じような違和感を感じてたと口にしてました。
関連記事:メンタリングとは?メンターの意味とメンターシップについて

 




相手を承認欲求を満たす道具




では、どうして他のコミュニティリーダーの文句を言う必要があったのでしょう??
その答えは、自分にラベルを貼る、です。
どうして、自分にラベルを貼ることが、他の人の文句を言うことに繋がるのでしょう?




劣等感を上手に使いこなせてない




その答えの一つに、劣等感です。
「劣等感を癒しましょう」とか、「両親の関係を見直しましょう」だとか、「カルマを燃焼させましょう」だとか、そういった話ではありません。
現実的なテーマとして、ここであげています。
どんなテーマなのか?というと、劣等感です。劣等感には、大きく分けて2種類あります。
その2種類の劣等感には、(1)自分と比較して感じる劣等感、(2)他者と比較して感じる劣等感。この2種類の劣等感があります。




他者と比較すれば常に競争




再びこの話題(他の人の文句を言うのか?)に戻りましょう。
「自信がないから他を蹴落とす」と言えばそれまでですが、自信のなさは時として行動力に結びつきます。
「自信がないから、差を埋めるために努力する」は、とても健全な劣等感です。
「敵は我にあり」とでも言わんばかりに、昨日までの限界を越え続けますし、僕もそうでありたいと思います。
しかし、「自信がないから動けない」のは、行動しない言い訳とすら感じ取れます。
他者との差を感じたくないため、他者を蹴落としたりするのです。
「認めちゃえばいいのに」と思ってしまいますが、それを認めることは本人からすれば、「死」を意味します。
死にたくないから、ちっさなセルフイメージにしがみついて、ラベルを貼って本当の自分を見破られないようにするため、「自分には特殊能力がある」と自己ブランディングするのです。




安心感は幻想かもしれない




また、自分にラベルを貼った自己ブランディングは、教祖への道へ歩むことになります。教祖になれば、信者が集いますが、その信者たちは生きづらさを解消して欲しいため、教祖に集います。
ですが、生きづらさを解消できるのは、本人にしかできないのです。
いくら「私には特殊能力がある」とラベルを貼っても、生きづらさは解消できないのです。
生きづらさの解消は、マズローの5段階欲求の中でも、一番最初の生存本能に当たるので、強烈な痛みを感じた信者たちが教祖に集います。
「この人なら、自分を何とかしてくれるはずだ!」と、高いセッション代(お布施)を払えば、この苦しみから解放されると感じます。
しかし、先ほども述べたように、生きづらさを解消できるのは、自分しかいないのです。
先生やメンターは、「こんな視点を持つと良いよ」と、道を教えてくれますが、その道を歩むのは本人です。
道を歩むことを恐れて、本当の自分に気づきたくないがため、承認欲求を満たしてくれるメンターと出会うことで、一瞬の安心感は得られます。
ですが、その安心感は幻想。
しばらくすると、また発作のように生きづらさを感じ始めるのです。
関連記事:メンタリング とは?メンターとは?


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