承認欲求が強い人の特徴・原因・対処について。

ナカタケこと中野丈矢です。

人は誰しも承認されると嬉しい生き物です。

誰かに承認されれば、「上手くいった」と感じ、承認されることをモチベーションとする人もいます。

けれど、承認されることばかりを強く求めすぎてしまうと、人生に歪みが生じてしまいます。

その歪みとは、人間関係で尽きない悩みやトラブル、そしてやりたいことが分からない、さらには生きる目的すら見出せず、中には病気になる人もいます。

そんな承認欲求の強い人の特徴・原因・対処法について述べています。

承認欲求はどこからやってくる?


承認欲求とは、「私を認めて!」と周りに強く求める欲求です。

この欲求は誰しもが持ってる欲求ですが、強すぎる承認欲求は生きづらさの原因となります。

生きづらさの象徴とも言うべき承認欲求は、いったいどこからやってくるのでしょう?

幼少期を振り返ってみよう


強すぎる承認欲求は、幼少期の記憶が大きく影響しています。

なぜなら、幼少期において承認欲求を満たすことは、生存本能に関係するからです。

特に幼少期は、親に認められないと「自分は生きることができない」と無意識の情報として組み込まれているからです。

この幼少期に、「褒められない、認められない時期」が長いと、大人になれば未解消な欲求を満たそうとするのです。

承認欲求の強すぎる人の原因は、幼少期に「褒められない、認められない時期があまりにも長すぎた」ことが原因の一つです。

 

ルールや規則に厳しすぎる環境


未解消な欲求が多いまま大人になれば、承認欲求の強い人になります。

幼少期にある程度の承認欲求を満たしていれば、承認欲求の強い人にはなりません。

承認欲求は満たせば満たすほど、もっと言えば「自分が自分である」という存在承認を満たせれば満たすほど、人間関係でも円滑に、健全に関係性を築くことができるのです。

ですが、育った環境がルールや規則に厳しすぎると、承認欲求が満たされることなく大人になります。

大人になっても、砂漠に水を注ぐように、満たされることのない寂しさや、強い生きづらさを抱えたまま生きるのです。

満たされない期間が長すぎた

ここまで見てきたように、満たされない期間が長すぎると、どうしても「自分には価値がない」と思い込んでしまいます。

承認欲求の強すぎる人は、「自分には価値がない」「自分は認められない」「受け入れられるはずがない」という歪みを持ったまま生きています。

これが生きづらさの原因に繋がるのですが、やはり幼少期の記憶が強く人生に影響を与えていたのです。



大人になると、未解消な欲求を人・物で満たそうとし、「支配・コントロール」で人間関係を構築しようとします。

人付き合いでも、健全な関係よりも、支配・コントロールすることで、自分のテリトリーに納めようとします。

また、承認欲求の強い親に育てられた人は、幼少期から支配・コントロールされた状態で育ちます。

つまり、満たされることのない欲求を抱えたまま大人になるので、親との距離感をある程度保たなければ、エネルギーを奪われてしまうのです。

その結果、うつや病気になる可能性も出てしまうのです。

また、「自分だけ不幸」と不幸自慢する人も、ある意味で承認欲求の強い人だと言えるでしょう。

承認欲求の強い人の特徴

強すぎる承認欲求の原因を見てきました。

原因さえ分かってしまえば、たとえ承認欲求を満たそうとする人が現れると、対処の方法も自然と分かりますよね?

そこで、この項目では承認欲求の強い人の特徴について見ていきましょう。

特徴を掴んでおけば、承認欲求の強い人との関わり方も見えてくるので、冷静に対処することができるでしょう。

世界は自分を中心に回っている



承認欲求の強い人は、自分を中心に世界が回っていると思い込んでいます。

つまり、「自分は正しい」「私は注目されている!」と常に考えているため、知らない世界に対して「悪だ」と決めつける傾向があるのです。

また、支配・コントロールすることで、人間関係を築こうとするので、相手をコントロール下に置くことで、関係を維持しようとします。

その結果、相手がコントロールされてることに気づき、新しい世界に進もうとすれば、ドリームキラーとしてあなたの進む道を阻もうとします。

また、常に承認されることを求めているので、気にかけられないと、不平不満ばかり言い出します。
  • 愚痴の多い人
  • 人の文句ばかり言う人
は、承認欲求の強い人である可能性がとても高く、関わり方としては距離感を保ったり、たとえ誹謗中傷されても気にしない姿勢がとても必要になります。

ある程度の距離感を保たなければ、あなたは疲弊する一方です。

疲弊したままマイナスの言葉を受け続けていれば、あなたの大切な家族や友人、仕事関係の方にまで悪影響を及ぼす可能性が高くなってしまいます。
  • エネルギーを奪われるのか
  • 距離感を保ちながら関係を持つ
  • 専門家に相談して対応してもらう
この3つの選択肢が考えられます。

話が一方通行である



承認欲求の強い人の特徴のもう一つは、「話が一方通行である」ことが挙げられます。

「世界は自分中心に回っている」と考えているため、”自分ごと”にしか関心を寄せません。

話を聞いてるようで、実はあまり聞いていないのも、承認欲求の強い人の特徴でもあるのです。

「すごいね」と褒められるまで同じ話を続ける人や、マシンガンのように一方的に自分ごとの話ばかり続ける人も、承認欲求の強い人でもあるのです。

つまり、承認欲求の強い人が選ぶ相手というのは、話を聞いてくれる人に限ります。

自分の話を聞いてくれるような、おとなしい人とだけ、関わりを持つ傾向があるので、自分の意見を持っていて、ちゃんと想いを伝える人とは、どうしても健全な関係を築くことが難しくなってしまうのです。
  • 常にトラブルメーカーで困難を抱えている
  • いつも人間関係に悩まされている
という特徴を持つ人は、話が一方通行で、相手の話を聞かずに、自己判断で相手をジャッジメント(勝手な判断)をしてしまうのです。

そのジャッジメント(自己都合による勝手な判断)すら、本人のセルフイメージが築き上げた偶像です。

相手には当てはまらないことがほとんどです。

もし、承認欲求の強い人からジャッジメント(自己都合による勝手な判断)されても、あなたに関係にないことがほとんどです。

その方の思考回路を覗き見させて頂くつもりで、「自分に言ってるのではない。この方の承認欲求がそう言わせているのだ」と承認欲求の強い人の話を聞いていくと、冷静に対応できるでしょう。

エネルギーを奪う人

一方通行なコミュニケーションばかりしていると、話す方は元気が出てきます。

しかし、聞いてばかりの人は、どうしてもエネルギーを奪われてしまいます。

承認欲求を満たすための会話がほとんどで、その内容のほとんどは「私、すごいでしょ!」といった自慢話であるのです。

また、中には不幸自慢する人もいて、世界は自分を中心に回っていると考えてるため、「いつも自分だけ不幸」であると、不幸自慢する傾向の強い人も、エネルギーを奪う人なのです。

「私は、こんなに不幸である」と不幸自慢することで、相手の関心を引くことも。

ここで関心を寄せてしまうと、承認欲求を満たそうとするので、エゴに飼いならされた獣のように、不幸自慢を一方通行で話をされてしまいます。

不幸自慢されても、リアクションを取らずに、淡々と聞いていれば、承認欲求の餌をまくことにはならないでしょう。

健全な人間関係を育めない

ここまで見てきたように、承認欲求の強い人は、健全な人間関係を育むことができません。

承認欲求を満たすため、自分のテリトリー内に相手を支配・コントロールする傾向がとても強いので、従順なYESマンならばその管理下にて、何の疑問もなく機械のように指示通りに動いてくれるでしょう。

しかし、自分の使命に気づき、進むべき方向性がある人にとっては、承認欲求の強い人との関係ほど、エネルギーを奪われることはありません。

特に、人づくりの仕事をしていても、伸びる人・伸びない人、あるいは成果の出る人・成果の出ない人との違いは、まさに承認欲求の程度の差であることがほとんどです。



確かに、知識や経験も多少の影響もありますが、エネルギーの矛先が、承認欲求を満たすために仕事をするのか?

それとも、自分に与えられた使命を全うするために仕事をするのか?

成果の出る人・成果の出ない人との違いは、”それだけである”と言っても過言ではありません。

また、仕事は人間関係を中心に回ります。

だからこそ、人間関係を育めない人は、いくら能力や知識があっても、「仕事のできない人」とラベルを貼られてしまいます。

承認欲求の強い人にとっては、自分なりに頑張った仕事に対して、「あなたの成果を認められません」と言われることほど、辛い出来事はありません。

中にはうつになったり、体を壊し病気になる人もいるでしょう。

承認欲求が強い人がやりがちな自爆行為

ここまで見てきたように承認欲求が強い人は、健全な人間関係を育むことが難しいです。

その原因は、承認欲求を満たすために相手を道具として見ているからです。

しかし、そうとは分かっていても、密に関わってみなければその人が承認欲求が強いかどうかは分からないこともあるでしょう。

そこで、この項目では承認欲求の強い人がやりがちな自爆行為について見ていきます。

SNS依存



あなたの周りにSNS依存してる人はいませんか?

一緒に時間を過ごしてても、スマホをずっと触る人や、逆にSNSに投稿までする人も。

中には、自撮りの写真を挙げようと、ポーズにかなりの時間を割く人もます。

確かに、自分の良いところだけを掻い摘んで、SNSにアップさせることで、「キレイ」「かわいい」「すごい」とチヤホヤされるでしょう。

しかし、過度な自己陶酔は、自分の世界だけに酔いしれてしまいます。

かといって、SNS上でプロモーションをする人全員が、SNS依存なのか?というと、決してそうではありません。

中には、戦略的にSNSを使うことで、ビジネスで集客する人も大勢います。

僕のクライアントさんでも、SNSを有効活用してる方もいましたが、承認欲求を満たすためにSNSを使っている様子は、一度もありませんでした。

「SNSの向こう側に、情報を届けたい人がいる」 と、素直に思える人だからです。

チヤホヤされることだけを目的にする人は、「注目を浴びたい」がSNSを続けるモチベーションです。

つまり、承認欲求を満たすことが、SNSを続けるモチベーションとなっているのです。

自分教ビジネス



SNS起業という言葉は、数年前では流行しました。

SNS起業とは、「SNSで憧れを持ってもらって、ファンを増やして商品・サービスを買ってもらう」という一連のマーケティングの流れです。

「SNS上で憧れを持ってもらう」ために、自撮りを撮るべく、何度も撮り直しをしたり、ポーズに時間をかけます。

最近では、携帯のアプリで美白効果も簡単にできるので、SNSで見るその人と、実際に会った印象とでは、「別人では?」という声も聞いたことがあります。

また、承認欲求の強い人は特に、「自分は正しい」と思う傾向が強く、「自分が教えてることは正しい」「他のコミュニティで言ってることは間違い」と判断します。

僕は、この毛色の強いビジネスを、「自分教ビジネス」と呼んでいて、教祖と化した主催者の言うことがすべて正しいと思える信者を相手に、自分だけの考えを披露しているのです。

この構図を紐解いてみれば、気づくことはたくさんあります。

その一つには、お互いが承認欲求の強い人どうしなので、承認欲求を取引にしていること。

たとえば、被害者の会が立っているビジネスは、この自分教ビジネスの色合いが色濃く出ている可能性が非常に高いでしょう。

また、自分教ビジネスが、信者を相手にビジネスをやるので、法外な料金であっても、喜んで支払うほど。

さらに、信者化したお客さんには、「私のコミュニティから出て行くと、不幸になりますよ」と言う主催者もいると耳にしたことも。

主催者は、常に注目を浴びていないと、不平不満を言いだすので、周りの人は常に気を配っておかなければならない、というプレッシャーを抱えています。

つまり、自分教ビジネスに、どっぷりと浸ってしまうと、自分の生きる目的を見失うどころか、大切なお金がお布施になるばかり。

自分教ビジネスの主催者と関わる上で、承認欲求を取引にするのでなく、お互いがWIN-WINになれる関係を築くことが大事なのではないでしょうか。

強い承認欲求はこうして駆逐しよう

ここまで見てきたように、承認欲求の強い人は、人・物で”スキマ”(満たされない感情)を埋めようとします。

もしも、あなたの周りに承認欲求の強い人がいたのなら、また承認欲求の強い人がお客さんや部下、上司にいたのなら、どのように関わるといいのでしょう?

強い承認欲求を駆逐し、エゴを燃やす対策を最後に見ていきます。

健全な劣等感を持つ


劣等感には2種類あります。
  • 理想の自分や過去の自分と比べて生まれる劣等感
  • 周りの人と比べて生まれる劣等感
劣等感にはこの二つがあるのです。

未来の自分・過去の自分と比べて生まれる劣等感は、「次はどうすべきか?」「もっと良くなるには?」「さらに上達するには?」といった、「次の一歩」を生んでくれます。

しかし、周りと比べた劣等感は、承認欲求の炎に油を注いぐだけ。

また、SNSで誰かが活躍する姿を見ては、落ち込んだり、勝手に感情的になったり、と情緒不安定になることも。

そんな時ほど、あなたの中に譲れない何かを見出せれば、人と比べることにエネルギーを注ぐことは少なくなります。

人として生まれた限り、承認欲求のない人はいません。

承認欲求は悪いのではなく、承認欲求を満たす矛先を間違えたり、強すぎる承認欲求で空っぽで乾ききった心を”人・物”で埋めようとする行為が、生きづらさの原因でもあるのです。

「承認欲求は消えないけど、生活を変えれば小さくできる」と考えるだけで、「次の一歩」が必ず見えてくるでしょう。

生きる目的をしっかりと持つ



承認欲求が強い人は、周りの判断に委ねながら生きています。

「自分を生きる」という言葉があるように、承認欲求を満たすことを長い期間かけていれば、本当の自分が分からなくなります。

本当の自分が分からなくなれば、自分のやりたいことも、理想とする自分も、さらに本来自分がエネルギーを注ぐべき相手を見誤ることも。

また、生きる目的を見失えば、周りに依存してしまって、薬物依存やアルコール依存などの依存症につながることも。

生きる目的は自分でつくるものであり、自分で気づくものです。

それは自分の足で行動することで、生きる目的への確信は深まっていくのです。

だからこそ僕は、生きる目的は育むものだと考えていて、すでにある確信を少しづつでいい。深めて大きくしていくことにエネルギーを注いでいけばいいのです。

また、人に褒めてもらおうと、周りの判断に委ねてしまえば、生きる目的を見失ってしまいます。

生きる目的をしっかりと持つことで、強い承認欲求を上手に活かすことができるのではないでしょうか。

自分の不完全さを受け入れる



僕は完璧とは幻想だと考えています。

人は凹凸があるからこそ、個性があり個性を活かし合える共生・共存できる存在だとも考えています。

長所があれば弱点もあるように、凹凸は必ずあります。

何でもできる人であっても、必ず弱点は存在します。

完璧主義な人でも中には、「完璧な自分でなければ人に認めてもらえない」という強すぎる承認欲求で自分を苦しめてしまうことも。

ありきたりな言葉ですが、「ありのままの自分を受け入れる」ことができた人から順番に、強すぎる承認欲求に巧妙な幻想を魅せられた日常から抜け出せるはずです。

できない自分を受け入れれば、今度は自分の強みも同時に見出せるはずです。

ありのままの自分を受け入れることは、生きづらさからの卒業でもあります。

先進国では生きづらさを抱えた人が多く存在するのも、ありのままの自分を受け入れることができないほど、完璧主義な人が多いのが原因でもあると僕は考えています。

完璧主義な人はいても、完璧な状態は幻想です。

完璧主義でも、最善を尽くすために向かうのであれば健全な姿勢と言えます。

しかし、完璧な状態にこだわってしまえば、生きづらさへの洞窟へとどんどんハマりこんでしまいます。

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