自分らしくいられる仕事で自分らしさと個性を活かした起業家の物語

自分らしくいられる仕事で自分らしさと個性を活かした起業家の物語

ナカタケこと中野丈矢です^^




自分らしさに個性を掛け算すれば、自分らしくいられる仕事になります。




けれども、




  • 自分らしさってなんだ
  • 自分らしさがわからない
  • 個性を活かす生き方が分からない
  • 個性がないのでは?



と自分を勘違いする方もいます。

そもそも自分らしさや個性のない人っていません。

そう勘違いしてる方へ、自分らしくいられる仕事で自分らしさと個性を活かした起業家の物語を記事にしました。





自由とは自分で道を切り拓く生き方

 









僕は2013年頃に情報発信を始め、今でもブログやメルマガを発行しその数は数千にも及びます。

ですが、最初の頃はブログを更新しても、アクセスがほとんど上がらず挫折ばかり。「辞めてしまおうか」と思ったことも、一度や二度ではありません。

文章を書いても、内容にまとまりがなく、話の筋がどこかへ飛んでしまったりしてました。

誰かのメルマガも参考にしながら、ブログ更新やメルマガ発行を続けてましたが、送られてくるメルマガを見るたびに、僕が書いた文章に絶望してました。




絶望の日々




エネルギーを文章として形にすることで「見える化」ができます。

僕のエネルギーを見える化したとき、送られてきたメルマガとを見て比べていき、内容の薄さに唖然としてたのです。

情報発信を始めた頃は、こんな特訓をしてました。

送られてくるメルマガと同じテーマを、僕のブログやメルマガを通じて文章にしていきました。

「同じテーマ」と言っても、写経するのでもありません。もちろんですが、内容をパクったり転写するものでもありません。

ここで言う「同じテーマ」とは、お金の使い方について書かれてあったら、僕なりのお金の使い方について書いてました。

また、心理学の投影というテーマで送られてきたなら、投影に関するブログやメルマガを発行してました。

発行して、送られてきたメルマガを見て、また発行してはメルマガを見るの繰り返しでした。

先にも述べましたが、最初は僕が書いた文章、その内容の薄さに唖然としました。内容の薄さに唖然としたと同時に、知識のなさにも絶望しました。




鵜呑みとの違い





メルマガのタイトルも、「自由になるために」といったタイトルだったかと思いますが、自由になるためにもふさわしい自分へパラダイムシフトさせなければならない、と感じたのです。

「自由になるために」と書きましたが、自由とは自分で道を切り拓いていくことだと思います。

そうと知らずに、送られてくるメルマガをただ鵜呑みにしてたら、きっとこう思ってるはずでした。

「僕はメルマガを読むだけで自由になれるんだ」

そう勘違いしてたのだと思うのです。

勘違いしたまま突き進んだら、今、解決すべき課題や、乗り越える壁にすら気づかずに、「心地良い状態だけ」を求めてたことでしょう。

何度も繰り返しますが、自由になるには、自由になる権利が必要です。その権利とは、自分で道を切り拓く道でもあるのです。




”縮める差”と”縮められない差”がある




すでに自由を実現させてる方のブログやメルマガを見て読んで、今度は僕が書いたものを読み返せば”差”があることに気がつきます。

その”差”とは、知識の差や技術の差、スキルの差だったりします。

”差”と書きましたが、これらの”差”はいくらでも埋められるのです。




縮められる差





「人が遊んでる時に働け」「人が寝てる時に働け」という言葉がありますが、これらの”差”を埋めるために時間をかけて差を縮めることができます。

差を縮めることに意識してれば、自然と量もこなせます。

これは肉体改造でトレーナーを雇ってトレーニングすることと同じで、すでになりたい体を手にしてるのと同じ。

その方からなら、そうなれる最短距離をお金を払って、それもマンツーマンで出し惜しみなく聞けますよね??


すでに自由なライフスタイルを実現させてる方の情報を鵜呑みにせず、自分のものにさせるために、実践していくことは重要です。


ですが、実践せずに絶望することを恐れていては、何も残らないと感じました。

インプットしたらアウトプットすることを、今でも心がけてますがアウトプットしなければ、人はだんだん忘れてしまう存在です。

なぜなら新しい情報に触れていて、新しい情報を記憶するために、目にしない情報は記憶から消えてしまうからです。これは脳の機能なので、機能を活かさなければなりません。

そうするには、何度もトライすることでしか乗り越えられないのです。




縮められない差の正体





プロ野球選手でさえあんなに練習してるのに、何も知らないズブの素人が彼らの練習の様子ばかり見てても、差は縮まりませんよね??

これはあくまで極論ですが、色んな分野にも通じると思うのです。

その人が今、実現してる姿だけにフォーカスするよりも、その人が辿ってきたプロセスにフォーカスした方が、よっぽど学習効果は高いのだと思います。


その方が辿ってきたプロセスにフォーカスすれば、「そりゃ、自由になれるわな」というある意味の尊敬の念が生まれます。これはごく自然なことだと思います。

僕は「メンター」という言葉が嫌いですが、誰かに尊敬を抱き始めれば、その時点でメンターになります。なので、「メンターは一人に絞れ」といった言葉は僕はあまり信じません。


また、コンサル生にも「僕のことはメンターと呼ばないでください」と言ってるのも、僕のことをメンター呼ばわりすれば、僕が辿ってきたプロセスを無視して、今の僕しかその人には映らないからです。


それだけでなく、「ナカタケさんだから、できるんでしょ」と言われてしまい、その人自ら「自分にはできない」と諦めてしまうのです。

受け取る側の課題だと言われたらそこまでですが、そんな意味合いがあって僕はメンターと呼ばれることに違和感を感じてます。




自分らしさが顔を出す瞬間がやってくる





話を差に戻します。

差を意識すれば、縮められる差と、縮められない差があるのに気づくのです。

縮められる差とは、先ほど述べた項目です。
縮められない差とは、ズバリ。その人らしさです。

その人らしさこそ、縮められない差でもあるのです。




あなたが見つめるべき光





「縮められない差だから絶望しましょう」と言いたいのではなく、むしろその逆。縮められない差は、あなたらしさそのもの。

つまり、誰にも真似できない唯一無二の価値ではないでしょうか??




  • 自分らしさって、何だろう?
  • 自分が提供できる価値って何だろう?




これに気づくまでに、色んな紆余屈折を経てようやく本当の自分が見えてきます。


本当の自分に気づくには、そうじゃない自分を経験する必要があります。

「そうじゃない自分」として過ごしてた日々には必ず意味があるのです。かといって、本当の自分に気づきさえすれば人生バラ色で、人生を自由に生きれるのか?というと、決してそうでもありません。

本当の自分として提供できる、唯一無二の価値(自分の役目)を提供する前に必ず通らなければならない儀式があります。





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