中野丈矢です。
僕がコンサルティングしていく中で感じたのは、人の成長過程において、「自信がない」「自分が嫌い」という理由で、行動することから避けてしまう時期がある、ということ。
やりたいことに気付けて、目標をきちんと定め、いざ動こうとしても、急にブレーキを踏んでしまう、ということはないでしょうか?
本人の中では、アクセルを踏んでいるつもりでも、アクセル以上にブレーキを踏んでいるため、行動しているようでまったく進んでいない。
周りはあちこち飛び回って、行動しているのに、自分はいつまで経っても変わらないまま。
SNSを見るたびに、そんな自分が嫌いになってしまいます。
この記事では、自分を嫌いにさせている要因と、克服して自分らしく望みを叶えていく方法について、書いてみました。
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そもそも劣等感って何?
自分を嫌いにさせているのは、紛れもなく劣等感です。
周りの人がどんどん変化していっても、その流れに乗り切れてない自分や、思うようにいかない自分を、誰かと比べてしまい、よけいに嫌いにさせてしまいます。
僕がこれまで、コンサルティングしてきた経験の中でも、劣等感は時として凶器になると感じたことがあります。
劣等感の苦しみを克服するプロセスよりも、まずはこの凶器について述べていきたいと思います。
劣等感が生み出す3つの凶器
人の成長過程において、この劣等感というのは切っても切り離せないと思うのです。
詳しくは後ほど述べますが、劣等感は時として凶器と化します。
これから紹介する3つのパターンというのは、ひょっとすると見たことあるかもしれません。そんな人を見た時には、「ああ、この人は劣等感で苦しんでいるんだな」と、そっと見守ってあげるか、この記事を参考にして助言してあげて下さい。^^
「自分より優れている」と感じる人を攻撃
まずはじめは、劣等感が攻撃性を持って現れるパターン。
この攻撃性というのは、「自分よりも優れている」と潜在的に感じる人のことを攻撃する、ということ。
「自分は自信がない」という劣等感を持っている人は、堂々と自分を表現している人を見ては、散々揚げ足を取ったりします。
「お金持ちには悪人が多い」と口に出す人は、「自分は収入が少ないことに劣等感がある」からであり、決してお金持ち=悪人ということではないのです。
「あの人の周りは不幸な人が多い」と口に出す人は、「自分には人を幸せにすることができない」という劣等感に苦しんでいます。
「私の言う通りにしないと不幸になる」と口に出す人は、「自分にはこれしか人を納得させる材料がない」という劣等感に苦しんでいます。
「(特定の人)さんは・・・」と揚げ足取る人は、その人を見て、嫌いな自分が表面化しているのにすぎない。決して、その言われた人が悪いわけではないのです。
このように、事実としてではなく、むしろその人の中にある劣等感が浮き彫りになっているのは、明らかでしょう。
もしも、あなたの周りにやたらと攻撃してくる人がいたら、その人の中にある劣等感が攻撃性を持った形としてやってきているだけ。あなたに原因があるのではないのです。
自慢ばかりで、本当の自分から目を逸らしている
自慢ばかりする人って、どうして違和感を感じてしまうのでしょうか?
僕は、自分の中の違和感を感じていったところ、自慢=自信のなさということに気がついたのです。
これに気づいた体験というのは、僕が学生の頃、父親によく飲みに連れていってもらってました。その席にいた人たちを見て、自慢する人と、聞きに徹する人がいたのです。
自慢する人の話は、過去の武勇伝、バブル時代の話など、今ではなく過去の話か所有物の話ばかり。聞きに徹している人は、後々になって分かったのですが、その人は地元では有名な企業の社長だったのです。
また、僕自身の話として、これは隠しておきたいほど恥ずかしい話なのですが、まっ、あえてさらけ出してしまうと、新幹線のグリーン車に乗っている写真を、わざわざSNSに載せてしまってました。
これがどうして恥ずかしい話なのか?というと、グリーン車をデフォルト(当たり前)としている人は、いちいちSNSには写真を挙げません。
僕はグリーン車に乗れていることを、一つのステータスとして捉えてしまっていて、本来の目的である、仕事を通して社会貢献していくということが、どうやら意識から薄れてしまっていたので、今では当時(約2年前)を振り返るたびに、「ダサい!」と我ながら思っています。
「人を輝かせる仕事」「人を本来の自分へと戻すきっかけを与える仕事」をしている人間が、SNSを使った流行に乗ってしまったことを、今でもとても恥ずかしく思っています。
不幸話ばかりで、今ある幸せから目を逸らしている
「私って、こんなに頑張っているんだよ」
本当にがむしゃらになっている人は、こんな言葉は出しません。
なぜなら、それをしている自分が好きだから。そして、頑張っている感覚がないからです。
でも、頑張っているアピールしてきたり、「私ってこんなに大変なんだよ」と猛烈アピールする人の多くは、
・同情して欲しい
・認めて欲しい
・自分を話題にして欲しい
という心理から来ています。
頑張ったアピールや、不幸話アピールのほとんどは、
「毎日、14時間も働いた(さあ、「すごい」と言いなさい)」
「振り回されて、とても疲れた(さあ、「つらいね」となぐさめなさい)」
だったりします。
ここで安易に、「すごいですね」「つらいですね」と言ってしまうと、頑張ったアピールと不幸話アピールが、だんだんと大きくなりますから、あえて避けてしまえばいいのです。
避けてしまえば、「すごいと言いなさい」「つらいとなぐさめなさい」という心理が大きくなりますが、これは本人にしか解消できないので、こちらがいくら「すごいね」「つらいね」と同情、あるいは認めたふりをしても、お互いにとって良い方向には向かいません。
本人の存在を心から認めて、信じきるしかこちらの対処はできないのです。
しかし、逆を言えば、相手の中にある光を信じきれば、言葉で伝えなくても相手には「信じている」と伝わるもの。
表面だけ取り繕った言葉で相手に「大丈夫」と言っても、日に油を注ぐだけ。
言葉より大事なのは、中から湧き出てくるような在り方。
思ってもない言葉で、表面的に相手と関わるよりも、ありのままの相手を見てみる。根っこでつながってみる。
相手を心から認めて、「あなたは大丈夫だ」と信じきれば、相手もその雰囲気を感じ取って、「大丈夫だ」「アピールしなくてもいい」と解消できてしまいます。
「不幸話ばかりでつまらない」と嘆くより、相手の中にある光にスポットを当てて、その光を大きくなるように努めてみましょう。
この記事に必然にも目にしたあなたには、そんな役目があるのではないでしょうか。
劣等感の正体はとてもシンプル
ここまで見てきたように、劣等感というのは、自分と他人とを比べて、自分が劣っている、というシンプルな感情のこと。
劣等感の分かりやすい例として、
背の低い人が高い人と比べて惨めな気分になったりするのも、誰かと比べているから、なんです。
背が低いことで得られるメリットより、デメリットにフォーカスしているから、苦しみが生まれるのです。
才能も劣等感がはじまり、、、?
背が低いから、人に馬鹿にされることはありません。
もし、あるとすれば、馬鹿にした人が何かしらの劣等感を抱えているのです。
このように、世界にたった一人しかいなければ、こんな惨めな気分になることはありません。
ですが、人は一人で生き抜くことは絶対にありません。
なぜなら、人は誰かとの関わりの中でしか、才能を発揮することができないからです。
「自分には、才能がある!」と思えるのは、誰かがあなたの才能に魅力を感じ、「素晴らしい!」と感じてくれる瞬間だからです。
才能は、誰かと共有して初めて才能となります。
独りよがりな発想ばかりして、人と関わることを避ければ避けることは、やりたいことを避けたり、関わりたい人を避けること。つまり、本当の自分をあえて選んでないのです。
インサイドアウト。中から外へ。
本当の自分に還ることで、魅力に磨きがかかり、才能を共有できる人が増えていきます。
そして、あなたの魅力に巻き込まれる人がいて初めて、才能は価値となり、人をハッピーにすることができるのです。
劣等感を克服するには
これまで見てきたように、劣等感は誰かとの比較で生まれます。
誰かと比較してしまったり、外ばかり見て自分自身の輝きを放つことを、疎かにしているうちは、劣等感を克服することはできません。
比較する=競争することなので、勝つまで楽しめない自分や、一番になるまで自分らしさに気づけないという苦しみが生まれます。
しかし、生まれた時点でオンリーワンであることに気がついてしまえば、誰かと比較することを馬鹿らしく思えてきます。
また、完璧であろうとすればするほど、人は誰かと比較します。
僕としては、完璧な状態というのはそもそも幻想であって、やりたいことをどれだけやりきるのか、好きなことをどれだけ真剣に突き詰められるのか?
そのやりきった感を大きくするためにも、誰かとの比較ではなく、「本当に自分はそれがやりたいのか?」「本気になれているのか?」「本気になれないなら、何が邪魔しているのか?」といった質問を自分にぶつけてみましょう。
本気になれば、誰かと比較することはなくなります。
やりたいことを、誰が何と言おうとやりきってみせる。
好きなことを、とことん追い続けてみせる。
そんな在り方が、劣等感をなくす方法かもしれません。
劣等感は、ズバ抜けた才能を開花させる
僕は劣等感は、あっても良いと思います。
なぜなら、やりたいことを見つけたり、好きなことを見つけたりするのも、きっかけはほとんど劣等感から始まる場合が多いからです。
なぜなら、僕がコンサルティングしていく過程で、クライアントさんが本当にやりたいこと、本当に好きなことの中には、劣等感が入り混じっているケースもあるからです。
僕自身も、劣等感が入り混じっていました。
劣等感は、あっていい。
むしろ、劣等感とは持って生まれてきたとさえ、僕は思います。
劣等感を克服したり、苦しみから乗り越える経験を経て、人は誰かの気持ちを理解できるようになり、自分=他人という状態になれるんだと思います。
誰かの痛みは、自分の痛みというライブ感(一体感)を持っている人は、劣等感で苦しむことは少ないと思います。
自慢話したり不幸自慢したり、口撃したりすることなく、むしろそのような劣等感で苦しんでる人に対して、背中で語り、存在で示していくでしょう。
そのようになるためには、
・やりたいことをやりきる
・好きなことを追い続ける
ことで、
自分はオンリーワンな存在であると心から思えるのです。
劣等感から生まれる物語がある
先ほど、才能は誰かとシェアして、初めて才能と分かると述べました。
やりたいことをお金にしたり、好きなことで収入を得ていくためにも、才能をシェアすることは避けて通れない道です。
僕は、劣等感から生まれる物語もあって良いとすら思えます。
むしろ、物語の序盤は劣等感が入り混じっていることも確かなのです。