自分らしさとは無限の可能性である
ナカタケこと中野丈矢です。
自分らしさとは何でしょうか?
僕が考える自分らしさとは、「可能性そのものである」ということ。
可能性あるとは、自分らしさを土台にする必要があり、この記事にその理由についてまとめました。
この記事では、
- 才能を広げるとは?
- 可能性がない人はいない?
- 自分らしさを手に入れるには?
- どうして経験が才能に直結するのか?
この辺りについても述べています。
Outline
才能を活かしきる
僕が可能性にフォーカスする理由の一つに、「人はいつでも変われる」と信じているから。この信念はこれからも曲げるつもりはないけど、そもそもとして人は才能を活かせるかどうかで、人生の質が大きく変わってくると僕は考えています。
才能とは偉業を成し遂げたり、偉人になるために必要なのは確かですが、そもそもとして才能とは「思うよりも大したもんじゃない」というのが僕は言いたいのです。
才能に対する勘違い
才能に気づけない人の多くが勘違いする原因として、「才能に気づきさえすれば、人生は変わる」という誤解を持っているからです。
努力家の人ほど、「僕には才能がない」と口を揃えるように言うし、「いやいや、あなたの才能はすごいですよ」と周りから驚きの反応が返ってきます。
才能を活かせてる人は、例外なく才能に気づけてない人と比べて、努力の質と量が圧倒的に違うのです。同じなのは使える時間。1日に24時間を与えられてることだけが、同じ条件です。
才能を活かせるかどうかは、一つのことに注ぎ込むエネルギーも影響してきます。エネルギーを分散させていると、突破できないように虫眼鏡で太陽光を集めて一点集中させれば、煙が上がるように、才能を活かしきるには一点集中が必要なのです。
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才能開花には自分らしさが必要?
また才能を見つけるには、「好きかどうか」をベースに考えるよりも、やり抜く覚悟があるかどうかの方が大事です。
周りから「絵が上手だね」と言われても、初期状態が高いだけかもしれません。本人の努力次第では、あのゴッホすら驚くほどの風景画を描く可能性を秘めているかもしれません。
「才能とは自分らしさ」かもしれない節
僕はゴッホの絵を見に博物館に足を運びましたが、画家としてスタートした時の作品は、「どうもゴッホらしくない」と思えてしまいます。けれど、時系列順にゴッホの作品を眺めていけば、だんだんゴッホらしさを感じれる作品になってきたのです。
僕が思うゴッホらしさとは、ゴッホの有名な作品でしか彼のことを知りませんが、ゴッホの代表作と初期の作品とを見比べても、その作品に込めた表現にしろ、ゴッホが込められたエネルギーにしろ、全く別人のように違うのです。
才能とはやり続けることで開花するのは確かなこと。けれども、ただやり続けるだけが才能を開花させるのか?といえば、僕は違うと思います。
ゴッホのように無敵経験値さえあれば才能が開花するのではなく、才能とは「自分らしさ」の土台にしか開花しないのだと僕は考えます。
ゴッホは幼少期から絵を描いてたのではなく、画家を志す前はセールスマンだったのです。人生の途中で画家になろうと決心したのです。
幼少期からずっと絵を描いてたと僕も思ったのですが、これは例外ですね。
自分らしさになぜ人は迷うのか?
また、「自分らしさって何だろう?」と考える人も少なくはありませんが、自分らしさがなくても正直言って生きていけます。
戦後間もない頃の日本で、「自分らしさを見つけよう」なんて呑気なことを言ってる人はいなかったはずです。今日を生き延びるために必死でしたから。
今ではワークライフバランスという概念が当たり前になってきた現代において、働くことへの定義づけを個人レベルで行うことで、幸せな人生かどうかが決まってくると言っても過言ではありません。
また「ゆとり教育」も生徒の自主性を重んじた教育方針でしたが、教える側も自立・自律してなければ「ゆとり教育」を教えることは難しいと僕は思います。
仮にその生徒が大学受験を目指すとすれば、学校の授業だけでは足りません。足りない分を補うために塾に行けば良いと考えますが、ここで塾で必死に勉強してしまえばゆとり教育のメリットは消えてしまいます。
学校の授業では足りないから、塾に通うのであり塾側の負担が多くなるだけではないでしょうか。
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「お前には無理だ」と言われても諦めるな
勉強では自分らしさは生まれない
ゆとり教育は自主性を重んじる教育ですから、その意味を理解した上で取り入れれば生徒が大人になった時に自主的に仕事をしたり、自分から価値を提供できる人間がもっと増えていただろうと思います。
「受験」という学習範囲が決められた世界と、仕事で新しい価値を生み出すことは思考回路は別物です。暗記重視になれば、言われたことはできる人間にはなれますが、言われなくても率先してできる人間になるには、社会に出て自分で学ぶしかありません。
自分らしさはどこで育つのか?
上司や会社が教えてくれるものではありません。上司や会社も知らないこともありますからね。もっと言えば、会社で働くことは自分らしさを失わせることで、型にはまった生き方を自分から取りに行くとすら考える人もいます。
ゴッホのように無敵経験値を重ねると同時に、自分らしさや我流があって初めて才能は開花します。型にはまった生き方では、経験値は積めるけれど、自分らしさや我流は育つでしょうか?
僕はそう思いません。
「こうしなさい」と言われれば動ける人は増えますが、「こんな未来を作りましょう!」と言える人はどれだけいる事でしょう。
アイデンティティの確立が弱く、メディアに操作されてしまう人も少なくはありません。誤った情報を正しいと思いこむよりも、それが真実かどうかを見極める嗅覚も自分らしさがなければ感じ取れません。
↓「自分には才能がない」と諦めるな↓
可能性にかけた分、世界は応えてくれる
一つにことをやり抜くには、相当なエネルギーが必要です。そう簡単にはやり抜くことはできません。しかし、周りから「天才」だとか「才能あるね」と言われる人に限っては、やり抜いてきた何かがあるからこそ、そう言われてるだけではないでしょうか?
周りからの反発があったり、なかなか成果が現れない時も「やめたら?」と言われることも。そんなことがあっても自分の可能性を信じた先にギフトとして自分らしさを手に入れたのだと僕は思います。
今年のゴールデンウィークは例年とは違う過ごし方を強いられます。今だからこそできることを見つけて、ゴールデンウィーク明け、そしてアフターコロナがやってくる前に自分らしさを手に入れましょう。
すでに手に入れてる人は、さらなる向上心を持ってみましょう。必ず世界は変わります。
今は停滞期でも、停滞期を抜け出すタイミングがやってきます。そのタイミングに気付けるのも、停滞期でも怠ることなくやり続けた人です。
誰に何を言われようとも、自分の人生です。
自分の可能性にかけてみましょう。
自分の可能性にかけた分、世界は応えてくれます!