ありのままの自分とそのままの自分は意味が全然違う!

ありのままの自分とそのままの自分は意味が全然違う!

ナカタケこと中野丈矢です。

ありのままの自分とは、「今の自分の在り方を肯定している自分」です。

つまり、自分を肯定しているわけですから、自分を肯定できるだけの生き方を習慣としているのだと僕は思います。また、ありのままの自分とは、毎日を必死に生きてる状態なのでは?と感じます。

例えば子供。特に0歳児だと、ハイハイしたり、お腹が空けば泣いてみたり、あるいは立ったり転んだり必死に毎日を生きていますよね。

もちろん、そこには悲壮感や義務感も感じられません。

僕にも0歳の息子がいますが、息子が毎日必死に生きてる姿を見ながら、僕自身も自分を肯定し続けられるようにしなきゃ、とつくづく思わされています。

では逆に、そのままでいようとすると、不平不満や愚痴が増えていく一方です。増えていけば、世界を歪んだ視点で見てしまうので、人の粗探しやネガティブな発言も増えてしまいます。

さらに、できない理由を探し出し、自分を正当化しようとします。つまり、そのままの自分でいることは、今の自分でいることではなく、退化や衰退なのです。

その状態からありのままの自分へ戻ろうとすれば、かなりのエネルギーを必要とします。では、どうすればそのままの自分から、ありのままの自分へ還れるのか?

この記事では、ありのままの自分とそのままの自分との違いを述べると共に、ありのままの自分でいることへ誤解を解きながら、詳しく解説していこうと思います!

ありのままの自分とそのままの自分は、全く意味が違う


ありのままの自分と、そのままの自分をごちゃ混ぜにしてる人を見かけますよね。

少し前に流行した、映画雪アナ。

その映画の代名詞である『Let it go~Let it go~(レリゴ~レリゴ~)』の歌詞も、本当の意味について考えてみましょう。

その意味とは、誰かに着せられた着ぐるみを被った「仮の自分」ではなく、「本当はこう在りたい」と強いメッセージ性を訴えかける歌詞です。

しかし、「ありのままの自分になるには、自分を認めること」だと表面上の理解をしてると、「何もしなくても自分は自分!」とそのままの自分でいることへ慣れてしまうのです。


ありのままの自分への誤解

あなたにとって、ありのままの姿って、どんな姿ですか?

今の自分とは全くの別人になってると思いますか?

もしも、「ありのままの自分は、今の自分とは比べ物にならないくらい素晴らしい人間だ!」と思ってるならば、あなたはきっと、ありのままの自分を誤解しています。

なぜなら、今の自分を肯定することから、ありのままの自分への旅はスタートするのですから。だからこそ、「ありのままの自分と今の自分とは別人だ」と、考えているならば、今の自分を否定せずどんな自分であったとしても、まずは受け入れることから始まります。

自分を否定せずに肯定するには、行動を起こすことです。

例えば、これまでやろうと思ってたことに挑戦してみたり、ずっと挑戦してみたかった体験をしてみることで、自分の在り方を肯定できるようになるのです。

自分を認めるには、自分の気持ちに寄り添ったり、誰かに教わったことを頭で考え巡らすことも大切ですが、理想の自分へ近こうとする自分にならなくてはいけません。

ダイエットしたい人が、サボりがちの毎日を送ってると、自分を認められるでしょうか?違いますね。ずっとやりたかったことをやろうとしても、勇気がなく踏み出せない日々が長くなってしまうと、どんどん自分を嫌いになってしまうのです。

つまり、自分を肯定して自分を認めるためには、それにふさわしい行動がとても重要なのです。


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そのままの自分でいること

また、自分を認めるには、誰かに自分の存在を認めてもらうことだと考える人もいます。確かに、その側面はありますが、何もせずにそのままの自分を認めてもらうには、やはり無理があります。

都合の良いように相手を振り回して、都合の良い返事や言葉が返って来なければ、「この人はわかってくれないな」と判断します。

自分を認めてもらえるのは、誰かに幸せや喜びを提供した時です。確かに親や兄弟、家族など存在自体を認めてくれる人たちもいます。家庭関係がベースとなって、家の外で人に役立つことや、喜んでもらえることで、誰かに自分を認めてもらえます。

存在を認めてもらえるのか、仕事を認めてもらえるのかは別問題ですが、自分のことをよく知らない人へはまず、仕事を認めてもらえることで、存在も認めてくれるのだと僕は思います。

また、幸せや喜びを誰かに提供することを、僕らは仕事と呼んでますが、社会との関わりの中でこそ、喜びや幸せを感じれる存在です。

だからこそ、自分都合で狭い世界に閉じこもっていると、そのままの自分からは抜けられません。しかし、狭い世界から広い世界へと飛び出そうと行動を起こせば、ありのままの自分へどんどん近づけるのです。

また、5年くらい前に「起業ブーム」が起こりました。

僕が考える起業ブームって、承認欲求を満たす人たちのムーブメントだった気がします。

特に、SNSで憧れを演出することで、それを見てる人から「こんな人になりたい!」「こんな人生を送りたい!」と思わせることで、承認欲求を満たそうとするツールとして、起業塾が流行ってました。

さすがにそのやり方は、陳腐化されているので、「キラキラ女子系」や「SNS起業」などの言葉すら、今では聞かなくなりましたね。

ダイエットを教える側がデブだったり、恋愛について教える側が彼氏募集中だったりするわけで、思い返せば「とっ散らかった状態」なんです。


ありのままの自分でいれば、生きる力が湧いてくる

ありのままの自分で生きようとすれば、周囲から圧力がかかります。

その圧力に負けて、”そのままの自分”を続けるのか、それとも”ありのままの自分”で在り続けるのかは、全て自分次第です。

忙しい毎日の中で感じる仕事へのプレッシャーや、思うように進まない毎日。

むしろ、組織の中で働いてると、自分が思う通りにはほとんど進まず、むしろ相手都合による判断基準で、自分の価値が決まってしまいます。

「本当の自分はどこにいる?」と漠然とした不安を抱えたまま生きているのも、現代人特有の悩みでもありますね。

「そのままの自分でいることへ妥協してしまってる」と言えば、確かなこと。ですが、周りとの関わりの中でこそ、自分を活かす術も見つかるのではないでしょうか?


ありのままの自分であり続けることから逃げてはいけない

あなたには、「周りの人と違うな」と感じる部分はありますか?

それはまさしく、あなた自身の魅力です。違いがあるからこそ、あなただけの役割があるのです。それ以上に、あなただからこそ生み出せる仕事があるはずです。

ですが、日本の教育は、「周りと同じであるのが美徳」という文化の中で、詰め込み教育を重視する教育方針です。

この教育方針のメリットとしては、「優秀な会社員」を教育するのに向いているところです。

素直で従順な大人として、組織の歯車として機能させるには、人と違う自分を受け入れるのではなく、人と同じであることをインストールしなければなりません。

この思考をインストールすることで、人と違うのを恐れてしまうセルフイメージが出来上がってしまうのです。つまり、ありのままの自分であり続けることから逃げてしまう習慣が身についてしまうのです。

ありのままの自分でいることは、時には周囲との摩擦も避けられません。リスクのない変化は訪れません。変化するには、まずは自分が変わることからスタートします。

ありのままの自分であり続けるならば、人と違う自分を恐れずに、受け入れていくしか道はないでしょう。


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自分なりの美学を持とう

ありのままの自分で生きることは、自分なりの美学を持って生きることです。

美学とは、「自分の基準」をしっかりと持って、発言したり行動を起こすことで、周りの人に共感されたり、憧れの存在として持つべき要素です。

かと言って、「良い」「悪い」のジャッジで自己判断せず、むしろ違いを受け入れることのできる在り方だからこそ、「自分の基準」が美学になるのです。

そんな美学を持っていると、積極的に人にポジティブな印象を与えたり、自然と人が集まる存在になれるでしょう。

そんな主体的に生きていると、生きる力もどんどん湧いてきます。

リーダーに選ばれる人は、必ずと言って良いほど、主体性を持っているのです。つまり、ありのままの自分でいることは、すなわち主体性を持って生きることだったのです。

では、主体性とは何なのか?

詳しくはこちらの記事にて詳しく述べています。


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