失敗を正しく恐れることが可能性を広げてくれるのだと、5000名以上の方と仕事で関わっていく中で学んできました。
「失敗を恐れず挑戦しよう」と多くの人が聞いた言葉だと思うんですが、いくら努力しても失敗を恐れてしまうのが人間ではないでしょうか?
失敗を恐れない方法を知るよりも、「失敗の数が成功や収入に繋がる」と思えることが大事なんだと思うのです。
「失敗はいけないこと」だと幼少期から教わったきたせいで、「失敗をするのが怖い」と感じてしまうのです。
では、どのような取り組み方が「失敗を正しく恐れる」ことなのか?
それは「何があっても、大丈夫だ」という揺るぎない自信を持つことが失敗を正しく恐れることに繋がっていくのです。これはどういうことなのか?
この記事で解説していきますので、最後までお付き合いください。
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失敗を恐れるのは優秀過ぎるから!?
新しく何かに取り組もうとした時に、「また失敗するのではないか?」という考えがよぎってしまうのは、ただただ人間が優秀過ぎるから、なんです。過去の自分が、がんばってがんばって努力を重ねた結果・・・・失敗した経験や出来事が、強い記憶として刻まれているからなんです。
それを回避するように、別の可能性を探るようになるのです。
その可能性の一つとして、「行動しない」という選択肢を選んでいるわけです。
失敗をするのが怖いのは当たり前
「また失敗するだろう」「行動しない方がいい」「突き抜ける情熱なんてない」というある種のマイナス思考を持ってしまうのも、逆に人間が優秀過ぎるからなんです。
しかし、子供の頃を思い返していくと、興味あることには何でも手で触っていきます。
それも時間を忘れるくらい集中しています。
それも公園に置いている石ころさえ、口に入れようとするくらいで、それを見た大人は「口に入れたら、危ない」というのは分かっているため、この危険性も「過去の記憶」が教えてくれているのです。
南海トラフ地震も「40年以内に90%」というわかるようで分かりにくい起こる確率も「過去の歴史」が教えてくれてます。
100~150年に1回は起きている計算で、2022年はちょうど周期に入ってるため、いつ起きてもおかしくないとの算出がなされています。
失敗を引きずるのは「過去の記憶」が原因!?
大地震の予測だけではなく、大人になるにつれて「過去の記憶」が増えていきます。
僕らは「過去の記憶」から想定した予測を立てていき、「きっと、こうなる」という未来を予測します。
石を口に入れたあとのことも、「きっと、こうなる」と分かっているし、大地震が起きた後の大きな被害も予測してしまうのです。
これが悪いとか、良いとかではなく、自分なりの予測をするためには過去の記憶を素材として「錯覚」を抱いています。
イケイケどんどんな人が持っている錯覚は、ポジティブな錯覚を持っています。
逆に「また失敗するのではないか?」という考えが強い人は、ネガティブな錯覚を抱いている、ということがわかります。
とはいっても、僕は「とにかくポジティブ思考しよう!」と言いたいわけではありません。
かといって、「ネガティブでも良いよ」とでも言いたいわけでもなく、自分の可能性を活かせる状態を見出すべきであると思うのです。
失敗を恐れる自分も願望実現には必要である理由
ポジティブな人は、すぐに行動できるという強みはあるのです。しかし、勇気だけでは大きな失敗に繋がってしまうのです。
ポジティブ思考な人に必要なのは、ネガティブシミュレーション。
つまり、「失敗を回避する方法」を知っておくことが、ポジティブな人が可能性を活かすためには必要だったのです。
無理に失敗を恐れる自分を克服しなくても良い
それも一つではなく、複数の失敗しない選択肢を持っておけば、イケイケどんどんな人でもリスク回避できるのです。
それでいて上手くいってる「イケイケどんどん」な人は必ず、ネガティブシミュレーションを行っています。
長く活動してる起業家や、長期にわたって会社を経営してる人は、必ずネガティブシミュレーションをしています。
なぜならば、ポジティブだけでは乗り切れないのです。
失敗したときのことを考えずに、勇気だけで突き進もうとするのは、「命綱なしでバンジージャンプ」に飛び込むような、まさに無謀な飛び込みになってしまうのです。
優秀過ぎる人は失敗したときのリスクヘッジが強いため、人生を変えてみたいほどのめちゃくちゃ強い動機がなければ「このままでも良いかな・・・・」とぼんやりと考えているのです。
「自分はなかなか行動できるタイプではない・・・」という人は、勇気がないから踏み出せないのではありません。
優秀過ぎるが故、現実と先回りしてリスクヘッジをしているだけなのです。
失敗が怖い人の行動しない理由
優秀な人は、必ずと言って良いほど「命綱はどれが良いのか?」「その命綱はどれくらい頑丈なのか?」といったことを、寝ている間も、食事中も遊んでる間もずっと考えてくれているのです。
考えすぎてしまって、選択肢が見えなくなって、自分の可能性すら分からなくなってるのだと思います。
だからこそ、「ちょうど良いところ」を見出していく必要が出て来るわけです。
僕は、セッションや講座、コンサルティングをしながら人の可能性について追求してきました。
そこで分かったことは、「また失敗するのではないか?」と考えてしまうのは自然の摂理であるということ。
つまり、優秀過ぎるが故、失敗を避けるために自分がこれから新しく取り組もうとすることに対して「本当にできるのか?」だとか、「また失敗するのでは?」という「行動しない選択」を続けているように”見える”だけなのです。
自分の可能性について理解していくと、必ず「行動する理由」が見つかるわけです。
なぜ、そう言えるのか?
僕がビジネスコンサルを続けていく中で、「能力と収入には比例関係がない」ということがクライアントとの関わりにおいて学んできたからです。
自己肯定感を上げれば失敗が怖い自分を克服できる
たとえば、年収1000万円の人と、起業準備中の人とで、能力には差がないことが分かったのです。
もちろん、これまで実践してきた経験数では、稼いでる人の方が場数は多いのですが、起業準備中の人でも知識レベルや技術レベルにおいては、両者を比べても差はなかったのです。
むしろ、起業準備中の人の方が高いケースもあったのです。
「能力と収入には比例関係がない」と言えばそれまでですが、僕が可能性を追求していくと「感性」にヒントがあったのです。
それはどんな事なのかと言うと、僕が大学時代から付き合いのある友人の一言に鍵があったのです。
「中野くんのことは昔から知ってるけど、知り合った時から自己肯定感が高かった」と。もちろん、僕が自己肯定感が高いことをアピールしたいのではありません。
自分の可能性を広げていくことと、自己肯定感とで大きな関係性があったのです。というのも、この自己肯定感をシンプルに言えば、自分の存在意義を肯定的な見方をできる感情のことで、自己肯定感が高い人の特徴として、「何があっても大丈夫だ」と思える自信を持っています。
その僕の友人の一言によって、僕自身の中に「何があっても大丈夫だ」と思える揺るぎない感性があるのに気づかせてもらったのです。
失敗を恐れないための”自分づくり”について
自己肯定感を持っていれば、できるまでやり続けられることができるし、仮に自分にはこれといった才能はないかもしれないが、特定の分野を突き抜けるような行動力があれば、才能開花できるのではないかと今でも強く思っています。
自己肯定感を持っていれば、自分のことを信じられる精神状態を保つことができると科学的に証明されています。
それだけでなく、他人のことも信じることができる状態を維持できるのです。
だからこそ、セッションや講座、コンサルティングを通じて、人の可能性を最大化させるお手伝いを続けられているんだと思うのです。
失敗の克服が人を強くする
この「何があっても大丈夫」だと思える状態を続けられているのは、何もメンタルの強さだけではありません。
生まれ持った素質でもありません。習慣さえ変えていけば、「何があっても大丈夫。自分はやっていける」と心から思えるのです。
突き抜けられる行動力も、自分の中に大きな動機を見つけさえすれば、人はリスクを犯してまで突き抜けることができるのです。
僕自身も、突き抜けるような行動力を昔から持っていたのか?と言われれば、決して「そうではない。後天的に身につけてきた」としか言えないのです。
もしも、生まれつき突き抜けられるようなタイプだったなら、プロ野球選手になっていたかもしれません(笑)
幼少期から野球は好きだったので、「何があっても大丈夫」と思えるメンタルが生まれつきあれば、プロ野球選手にもなれたと思うからです。
しかし、プロ野球選手ではなかった・・・・・
つまるところメンタルや突き抜ける力というのは、後天的に磨かれるものが多いのだということ。
いくら才能に恵まれても、優秀な先生を世界中から呼べるくらい家がお金持ちでも、自分を活かすかどうかは突き抜ける力を持っているかどうか・・・なのです。
「失敗するのではないか?」という心理が可能性を広げてくれる
かくいう僕自身も、「失敗するのではないか?」と考えるのもゼロではありませんし、10代の頃なんて「失敗したくないから、挑戦したくない」とすら考えてました。
ただ当時と今の僕と違うのは、「失敗するのでは?」という考えがよぎっている時は、僕の感性が「今の自分に納得していない」からで、「もっと突き抜けようぜ!」とメッセージを送ってくれているのだと言うこと。
つまり、可能性を活かし切ってない状態に、感性が「もっとやれよ」と教えてくれているのです。「こうやれば、うまくいく」というロードマップが見えて来るのです。
10代の頃は、「失敗しないように・・・」と安定する人生を歩むつもりでした。
今でこそ安定した人生なんて幻想だったと思えますが、当時の僕からすれば自分の人生を生きるよりも、誰かが決めたルールに従っていればそれなりに生きていけるはず・・・と考えてたのです。
安定を選べば可能性は閉ざされますが、肯定的な錯覚、それも能天気なポジティブではなく、「こうやればできる」と明確なロードマップを描けるくらいに感性を磨くことができてば、「何があっても大丈夫」だと思えるのです。
まとめ
「何があっても大丈夫」だと思えるには、才能は必要ありません。リスクを犯してまで、人生を変えていきたい衝動を見つけることで突き抜けることができるのです。
突き抜けた先に広がる世界は、想像以上の自分が待っています。今の自分では想像できないほどの自分が、活躍しているはずです。
自分を変えていくためには「何があっても大丈夫」だと思えるかどうか。
僕は、セッションや講座、コンサルを通じて「”何があっても大丈夫”という感覚(=絶対感覚)」をクライアントの中にも可能性を見出しているわけですが、この記事やメルマガでも可能性を見出していける内容を続けて発信していきますね